オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

物事の見通しがよくなるのが微積分! 数学的思考!

2013年06月29日 22時55分32秒 | オズマの考える教育問題

 不毛な議論に,「微積分なんかやったって役立たねえ」という話がある。僕が高校生の頃にも言われていたし,いまでもほとんどの子供がいうだろう。

 でも,振り返ってみると,僕は微積分が得意ではなかったが,その考え方=数学的思考については,実際のところ,実社会で大いに役立っている。

 別にだから勉強せえよ,というわけではない。僕は逆に暗記科目が苦手で,地歴公民科目は高校の期末テストはともかく,模試で得点をとれる状況になかった。わかりやすくいえば興味のわかない学問だったのだ。

 でも,30歳を過ぎたあたりから,歴史に疎い自分を恥じた。バス釣りしか知らない自分を情けなく感じた。それは,見返り観音の言葉だったと,いまでも明確に思い出す。

 以来,仏教中心に日本史を自分の脚で歩いてたしかめるようになった。いや,観光を積極的に行うようになった。

 話がずれたが,微積分から逃げてしまうというのは,このように歴史から逃げてしまうのと同じく,青春をもったいなくしてしまう,と思う。なにより数学的思考=騙されない思考・冷静な思考を身につけるチャンスを失ってしまうかもしれないから。

 これから夏期講習などが始まる。僕は補習塾で基礎の基礎から解説してもらってようやくできるレベルだった。だがしかし,原理から解説してもらったので,面白くなり,結果として関連する仕事にありついている。

 可能性を閉じるのはもったいないということ。

 相変わらず「ベイトフィネスリール」での検索が異様に多いこのブログだが,釣りでも同様,迷ったら「やってみる」ことだ。「やらないで後悔」が一番悲しいことに気づくのは,僕は20代後半だった。でも,あれから変わった。人生観が。

 微積分は「変化の様子を捉える」のが本質。経済でもなんでも変化の様子をとらえることはきわめて重要である。株価動向などの分析でも極めて重要だ。

 とにかく「やってみる」こと。後悔は,その字の通り「あとですればいい」のである。恐れていては前進なし,である。

 しかしまあ,姓名判断なるものをやると憂鬱になるねえ。自分の引き運がこれぐらいかなとボンヤリ思っていたら,ズバリとくるんだから。まあ,引き運ってものは,終わってみないとわかりませんがね...。人生は前にしか進まんのよ。無料の判断だから容赦なかったね,しかし。


ナイトライダーの時代がきたのか...。

2013年06月29日 15時26分51秒 | オズマのクルマよもやま話

自動運転はもう間近!? 市販車の運転支援システムがスゴすぎる(@niftyビジネス) - goo ニュース

 便利でなく恐怖。ナイトライダーはK.I.T.T.なる人口知能が制御したが,それができないと怖い事故が予想される。

 複雑な電子デバイス。ところが簡単な操作画面。そこが怖い。ATの暴走事故が止まらないのに,果たして大丈夫かと。

 望むべきは,K.I.T.T・簡易デバイス。人工知能の簡易バージョン。運転のみに特化し,オープンソースで開発すれば不可能ではないかも。

 それでも僕は,1600GT・20万キロを目指す。15万キロは来年には達成できる。MTトラブルのようなものも治ったし。

 デジタル時代だからこそ,人間デバイスで生きる! それが自分らしさ。


2ちゃんねる自体よく知らないが...。

2013年06月29日 15時11分57秒 | オズマのPC・WEB関係

「2ちゃんねる」で最近見なくなった死語ランキング - gooランキング



はあそうですか,という感じ。「w」は便利なので使ってますが,他はない。

2ちゃんねる自体「気色悪い」ので参加もしたことがない。ちょっとみただけで,不潔感漂う雰囲気に耐えられない。

ああ,ぼくのブログもそうですよね。それでいいと思います。

でも「キボンヌ」ということば自体は面白いと思う。まあ,栄枯盛衰,諸行無常でしょう。


【言いたい放題】「釣り」について,6/28朝日新聞記事をもとに考えてみる。

2013年06月29日 15時05分33秒 | オズマのその他釣りレポート



朝日新聞の偏向報道を指摘してきたが,今回の舞台は富士五湖と赤城大沼である。

まずは富士五湖から行ってみよう。

いきなりおかしな文章として,バスが
     「全国各地で駆除活動が進められている」
と書かれている。

水郷潮来でこのような行為は見たこともない。「全国各地」と,いかにも取材したかのような記事だが事実無根である。

全国各地というのなら,琵琶湖でも「事実上」機能していない。長浜や彦根に設置された「外来魚回収BOX」に魚を入れるバカなど居ないからである。そもそもあのBOX自体がまともに管理されていない。もう朽ち果てているものさえある。

また,西湖のクニマスについて触れているが,クニマスが「国内外来種」であることを知りもしないバカ記者のお粗末さが現れている。

クニマスは,元々は田沢湖にしかいなかったのを移植放流し,それが根付いていたことがわかっただけの話である。

いかにもバスが原因で減ったと書きそうなそぶりが鼻につく。さらにはいきなり生物「多様性」に飛ぶ。

クニマスならずとも,国内淡水魚は外来種だらけな現状を知らない記者。西湖でいえばヒメマス・ヘラブナ・ワカサギ,ほとんどが外来種ではないか。そこでバスだけを問題視するの底の浅い記事。

それにしても,バスブームが去ったことを如実に表しているのが
    「年間30万人だった釣り人がいまはせいぜい5万人」
という数値。これが事実なら,実に84%ダウンである。霞ヶ浦水系でもたしかにバサーが増えていないとは思うが,この数値はかなりショックすぎる。果たしてどこの数値だろう。

そして,極めつけが,細谷なるインチキ魚類学教授。相変わらず生態系「破壊」という間違えた用語を平気で使う。何度も指摘するが,生態系「攪乱」である。この指摘をできない記者のレベルも高校生以下であるが,教授に教えられる学生も可愛そうである。

まとめが笑ってしまう。河口湖も世界遺産なので外来種を排斥せよという主張。

富士山周辺は,何度もの富士山噴火によってできた独自の溶岩体があり,そこにしかなじめない生き物しか残っていない。

ユネスコだってバカではない。バスも含めて,さらにいえば,本栖湖のブラウントラウトや西湖のヒメマス,など,人間が管理運営している「釣り堀」を含めて遺産と認めたのだろう。

三保の松原の外観を損ねているテトラには甘くて,こと相手がバスだと排斥。


さて,同じ日に「プロメテウスの罠」なる記事では,群馬県赤城大沼の放射能汚染問題が語られている。

ちなみに,ワカサギは,本来,汽水であった霞ヶ浦などに天然分布していたもので,いま山上湖に居るものは,人間が適当に放流してきた国内外来種である。東京は奥多摩湖にも居るが,奥多摩湖なる人造湖にそもそも生態系の概念をどこまで適用するのかという議論はいつもない。

さて,それでもワカサギは,一般に「おいしい」(これも日本の料理の仕方でないと評価されない)から,同じ釣りでも
    「ワカサギ放流;もったいない」「バス放流;ダメ」
となる。外来種というくくりではバスもワカサギも同じなのに,バスの観光資源度もワカサギに負けないものがあるのにオカシイ。

また,記者は,「(ワカサギは)釣って焼却,これほどむなしいことはない」という。
これは幼稚な生命観で「バスは殺してよい,でもワカサギはおいしいからダメ」というもの。たとえば,同じ幼虫でも「ガは気持ち悪いからイイ」「チョウはダメ」と言っているレベルである。個人的行動ならともかく,記事にするべきことであろうか。

仏教の世界では「命はすべて平等」と考えるのが基礎。外来種だろうとなんだろうと。そして,その考えに違和感をもつ日本人は少ないはずである。

だがしかし,こと目先のお金に目がくらむと
   「アメリカナマズは気色悪いから殺せ」
とか
   「ライギョはわるい魚だから殺せ」
とか
   「ヘラブナはいい魚だからリリース」
などという,わけのわからない「生命観」が出来上がる。

しかも,釣り人全体というマクロの視点で見ても,このおかしな生命観はいまだにある。

水郷でもアメリカナマズは変わらず嫌われ者の代表格であるし,ブルーギルも相変わらず殺されている。

自称バサーなる人々も,多くは,バス以外が釣れると「ショック」らしく,自分の腕のわるさを棚に上げている。ニゴイが釣れてガックリする気持ちがわからないわけではないが,自分の腕の不確かさを自問するということが,僕からするとそういう「自称バサー」は耐えられない存在である。

彼らは釣り人というより,「ルアー投げ」が好きな人にすべきではないかと思う。自称ヘラ師もまた同様で,「練り餌放り込み作業の好きな人」なのではないか。

朝日新聞のいいかげんな報道には,本来釣り業界全体を通して抗議すべきであるが,歴代政権(自民党でもあろうがなんだろうが)はまともに扱っていないに等しい。小池百合子が環境大臣だったときに,有識者会議の結論が「バスは時期尚早」とまとめたのに,無理矢理,バスを特定外来生物にしてしまったのだ。あれは間違いなく自民党政権でのできごとだった。

何度も書くが,自民党をアベノミクスと三国人への対応だけで無批判に賞賛すべきではない。民主党の売国行為があまりにも酷いだけで,自民党とていざとなれば飼い主にしっぽを振るに決まっているのだ。

以上,長文になったが,不人気を覚悟で書いた。


空き地が草ぼうぼう。

2013年06月29日 05時12分01秒 | オズマの独り言

 家の裏が空き地になって半年経つが何も計画がないようだ。決まっていないようである。

 この土地を購入した方も売った方も,果たして正解だったのだろうか。

 都内にはこうした空き地が目立ってきた。それは高齢社会がもたらしたもの。23区の高い税金によるもの。先祖の土地を子孫が簡単に引き継げない現実がある。

 狭小住宅が建つには公道に面していない。私道に面しているとそれだけで近所との調整がやっかい。僕が不動産担当だったら購入していないのだが。

 裏地だったために「言い値」で購入を勧められた経緯もある。しかし,購入しなくて正解。これは瘴気がまとわりついているように感じる。でも,シソが大発生して毎日シソ三昧

 さて,この秋からのこちらの建て替えは着々と準備中。

 時代は変わった。あの世にお金をもっていけないということだけは変わらないが。