オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【倉木麻衣“コナン”に救われ20年・今ではスケボーにも】デビューしたときから好きだった。歌も容姿も。

2021年03月10日 22時09分46秒 | オズマの独り言


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/oricon/entertainment/oricon-2186410

 3/11といえば東日本大震災。したがって,震災関連のニュースやら記憶ばかり

 僕はまったく異なることを書こう。

 倉木麻衣。デビューしたときから好きだった。一目見て,たった一曲でフアンになった。CDをレンタルしてダビングした。

 あの頃,僕は20代。シビックSiR-Ⅱで暴走族...ではなく,「走り屋」としてまさに走りまくっていた。関東の峠はことごとく走りに行っていた。土曜日の夜中にふと目覚めて2時間乗ってくるとか,異常だった。

 そのころ,倉木麻衣と宇多田ヒカル。ともにシンガーソングライターとして10代でデビューした。

 宇多田ヒカルの方もそれなりに聞いているのだが,容姿については倉木麻衣が好みなのだ(笑)。

 そして大きな時間が流れて,会社に新人女子が入社した。あまりにどこかで観たことがあると思っていたら倉木麻衣に似ていた

 あとでその娘に聞いてみたことがある。芸能人で似ていると言われたことはないかと。

 まあ,そんなこともあった。

 倉木麻衣も,デビューからおそらく25年近く経過しているはず。そうなると,まだ40歳かそこらか。どうりで可愛らしいわけだ。

 40歳など若い

 そう,10年前の震災時,僕は40代前半だったのだ。若かったから,震災後の会社でダンボールを敷いて寝た。

 翌日,東京が停電になっていないときに携帯電話を買い替えた。カシオGzONE-TYPE-Xである。いまだにカッコイイので持っている。

 2011年は釣りも大きく変わっている。「嘉襟之川」とブログに記してあるのは,実は新利根川である 帰り道に寄っていたから「帰りの川」だった。新利根川を開発した年度でもあった。

 潮来の被害をモロに感じたし,釣り場がことごとく変わって,手を焼くことも多かった。しかし,若かった。40代前半は厄年だが,いま考えるとやはり若かった。どうして往復5時間も運転できたのだろう

 倉木麻衣の話から大きく逸脱したが,40代という齢がきっかけである。

 ちなみに3/10は東京大空襲空襲は戦争をしない限りないけど,天災は忘れた頃にやってくる

 いまも,会社にも家にも災害備蓄がされている,この10年である。


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