オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【公衆電話】いまでもこうして活躍中。いまでもテレカ,持ってます。

2021年03月13日 14時53分17秒 | オズマの独り言

 近所のスーパーでふと見かけた公衆電話

 誰も利用していないに等しいが,国道などにもしっかり設置されているのは知っている。

 携帯のなかった時代。旅先での究極の捜し物ツールは公衆電話とタウンページだった。

 水郷に宿泊して釣りに行ってみようと決めた真夏。何も調べずに(当時だって旅行雑誌はあったのに),着いたらなんとかなるかと思ったら大間違い。

 潮来のホテル街では予約なしではダメと断られ続けた。そんなときにタウンページ作戦。しかし,宿の支配人は「男性,二人ですかあ」といぶかしげ。おかしいと思ったらラブホだった(笑)。

 結局,北利根川沿いの格安旅館に泊まった。たしか一泊3500円ぐらい。お風呂は家庭風呂だったが,冷房が効いた部屋のなんと涼しいことよ。

 その旅館には,たしか1991年から1994年ぐらいまで結構な頻度で泊まっていた。1995年頃から水郷に宿泊しなくなったのは,たぶんそれほど釣れなくなったからだろう。父とも泊まって釣りに行ったものなあ。

 就職活動のときも活躍した。携帯電話のない時代。ひたすらにテレカを買って,田舎の学校から都内企業にTELをすることもあった。遠距離電話になってしまうので,度数があっというまに減ってしまったっけ。

 就職活動にあたって揃えた手帳とテレカ,そしてボールペン。そういえば,いまでも持っているのである。

 そう,携帯電話がつながらない事態があったから。

 あれは3/11大震災のとき。僕は自宅に携帯を置いていた(不携帯電話)ので,会社に許可をとってそのまま家に電話した。すぐに繋がったのが不思議だったが,あれほど安堵したこともない。

 外を観ると,公衆電話に長い列が出来ていた。

 そういうことなのである。

 手元には,1996年製のテレカがある。携帯というよりPHSが普及しかけた頃だろう。僕が携帯電話を買ったのは月々3000円ぐらいの維持費になったころ。アキバで「0円携帯」を買ったのもよい記憶だ。なにしろ,電話以外の機能がなかったから。それでも,たしかに便利だった。

 街角にある公衆電話。維持費がかかっているので電話BOXは撤去も進んでいるという。その反面,いざとなると防災上非常に大きな役割をもつ。

 新宿駅西口の公衆電話の列,いまでも覚えているが,いまは何台あるのだろう


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