近所のスーパーでふと見かけた公衆電話。
誰も利用していないに等しいが,国道などにもしっかり設置されているのは知っている。
携帯のなかった時代。旅先での究極の捜し物ツールは公衆電話とタウンページだった。
水郷に宿泊して釣りに行ってみようと決めた真夏。何も調べずに(当時だって旅行雑誌はあったのに),着いたらなんとかなるかと思ったら大間違い。
潮来のホテル街では予約なしではダメと断られ続けた。そんなときにタウンページ作戦。しかし,宿の支配人は「男性,二人ですかあ」といぶかしげ。おかしいと思ったらラブホだった(笑)。
結局,北利根川沿いの格安旅館に泊まった。たしか一泊3500円ぐらい。お風呂は家庭風呂だったが,冷房が効いた部屋のなんと涼しいことよ。
その旅館には,たしか1991年から1994年ぐらいまで結構な頻度で泊まっていた。1995年頃から水郷に宿泊しなくなったのは,たぶんそれほど釣れなくなったからだろう。父とも泊まって釣りに行ったものなあ。
就職活動のときも活躍した。携帯電話のない時代。ひたすらにテレカを買って,田舎の学校から都内企業にTELをすることもあった。遠距離電話になってしまうので,度数があっというまに減ってしまったっけ。
就職活動にあたって揃えた手帳とテレカ,そしてボールペン。そういえば,いまでも持っているのである。
そう,携帯電話がつながらない事態があったから。
あれは3/11大震災のとき。僕は自宅に携帯を置いていた(不携帯電話)ので,会社に許可をとってそのまま家に電話した。すぐに繋がったのが不思議だったが,あれほど安堵したこともない。
外を観ると,公衆電話に長い列が出来ていた。
そういうことなのである。
手元には,1996年製のテレカがある。携帯というよりPHSが普及しかけた頃だろう。僕が携帯電話を買ったのは月々3000円ぐらいの維持費になったころ。アキバで「0円携帯」を買ったのもよい記憶だ。なにしろ,電話以外の機能がなかったから。それでも,たしかに便利だった。
街角にある公衆電話。維持費がかかっているので電話BOXは撤去も進んでいるという。その反面,いざとなると防災上非常に大きな役割をもつ。
新宿駅西口の公衆電話の列,いまでも覚えているが,いまは何台あるのだろう