自動車免許を合宿でとったことはどこかで記しているが,貴重な卒業写真が見つかった。
1988年4月2日に卒業している。
記憶では,この撮影が夕方でそのまま帰郷する生徒がほとんどだったが,自分は一晩だけ宿に泊った。そう,延長になってしまった人と一晩だけ過ごした。
つまり,4/3には帰京した。すると「なんですぐに帰ってきたのか」と親に言われた。いやいや,記憶が鮮明なうちにすぐに試験受けて一発で通りたいし,と言ったけど。
その翌日4/4,たしか水曜日である。父が腰痛で休んでいたが,自分は当時できたての江東試験場で一発合格した。
ここまで至るには,姉の長い長い通い免許取得を見ていたことが伏線にある。
姉が大学進学すると,姉は農学部だったのでトラクターでの実習があるという。当然免許が必要とのことで,姉は教習所に通っていた。しかし,見事に延長・延長で,一体何ヶ月かかったのか,当時高校生だった自分は「こんな要領のわるい方法だけはだめだ」と思っていた。
大学に入るとすぐに「お前は免許ないのか,ツカエネエ」「速攻で免許とってこい」と釣り研究会の先輩に日々言われた。
そして休みにバイトをして資金をつくった。そして合宿免許にかけたというわけである。
この当時かかった金額はたしかコミコミで20万円。2週間泊まり込み・3食つき・往復交通費も支給,さらにお風呂は鶴岡の湯野浜温泉というわけで,食事が貧相だったこと以外は楽しかった。
いまでは合宿でも「雑魚寝」なんてない(実際にパンフを見たら豪華でビビった)のかもしれないが,当時は当然雑魚寝である。たしか,3名一部屋だった記憶があるが,その当時はまだイマイチ美味いと思わなかったビールを毎晩少しだけ飲んでいたっけ。19歳だったからダメなんだけど,当時は18歳でなんでも解禁だった。
しかし,自分はこの写真のどこに居るのだろう 「何々を探せ」じゃないが,あまりに小さい。そして,この写真で一緒だった人達と東京方面で再会することはたった1名だけ,それも埼玉は上福岡の街頭で偶然にあったが,以降1回もない。
マークⅡのディーゼルエンジンが思い出される。5MTだったがパワステで,自宅に帰って「重ステじゃなくて”パワー”ステは嫌だあ」と日々思ったものである。