金子文英堂の二階に復元された 「 金子みすゞの部屋 」
本名 金子 照(テル)
「 みすゞ 」 というペンネームの 「 みすゞ 」 とはイネ科の植物スズタケのことで、
信濃の国の枕詞、みすずかるという言葉の響きが好きでつけた名前だそうです。
みすゞは、1903 ( 明治36 ) 年、山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)に、
父・金子庄之助、母ミチの長女として生まれました。
みすゞが2歳のときに父が亡くなったため、
その後、一家は仙崎に金子文英堂という書店を開き、生計を立てていきます。
みすゞには兄(堅助)と弟(正祐)がいましたが、
父の死後、弟が、叔母フジの婚家である書店、上山文英堂の養子となって下関に移ったため、
みすゞは祖母、母、兄と4人で暮らすようになりました。
みすゞの故郷、仙崎は、仙崎湾と深川湾に挟まれた、
江戸時代から明治まで捕鯨の基地として繁栄した町で、
現在も沿岸漁業が盛んです。みすゞにとって、海や魚は身近な存在であり、
後にみすゞが最初に雑誌に投稿する童謡「お魚」その他の作品の中に描かれている。
また、仙崎は、国の名勝である。
天然記念物に指定されている青海島を目前にする風光明媚な町であり、
みすゞは後に「仙崎八景」と呼ばれる、仙崎周辺の風景を描いた八編の作品を残している。