「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

第7位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 ミニ手帳 」

2016-06-11 06:59:19 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

       今朝も蒸した。
       同じ17度の気温でも
       湿度で爽やかさがぜんぜん違う。
       冬場の17度は温かく
       夏場の17度は涼しく感じるが、
       それもある程度乾燥していればのこと。
       今日も暑くなりそうなので、
       こまめな水分補給をしなければならないな。
       そんな今日の順位は7位で、
       ラッキーポイントは、
        「 ミニ手帳 」 である。

       意地を張り大ケンカ!
       悪いと感じたら即 謝罪を・・・

6月11日 「 朝の風景 」

2016-06-11 06:17:37 | 朝の風景とその他の風景













曇天の空に
一瞬だけ朝陽が姿を見せた

それが
作付けをした
田んぼに写った



長崎県新上五島町 「 第五十代横綱 佐田の山関之像 」

2016-06-11 01:05:10 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



























佐田の山の像は、彼の出身地の有川港ターミナル横に設置されている。

佐田の山は、長崎県南松浦郡有川町(現:新上五島町)出身で大鵬・柏戸の
柏鵬時代の横綱で幕内優勝6回の大横綱で、
年寄出羽の海として日本相撲協会理事長を3期 ( 1992-1998 ) 勤めた方でもある。


佐田の山・本名 ( 佐々田晋松 ) は、有川町で船大工を営む家に生まれる。
生まれる前に父親が像に乗った菩薩様 ( 普賢菩薩 ) の夢を見て、
普賢菩薩の普に似た晋の字と自分の松を取って 「 晋松 」 としたという。

幼少期に大の相撲好きだった父親から、
郷土の英雄とされている五ツ嶋奈良男の話を聞かされた上に
土地相撲に連れて行かれる内に大相撲に憧れを抱き、
次第に角界入りを希望するようになるが、母親から猛反対された。
長崎県立上五島高等学校へ進学後は相撲部に所属したところ、
3年生で長崎県の相撲大会に参加するよう勧誘された。

最初は辞退したものの強引な説得で補欠として出場させられたが、
いざ対戦するとほとんど負けなかったために自信が付き、角界入りを強く望むようになった。
1955年に千代の山雅信・栃錦清隆の一行が地元・五島へ巡業に来た際に
高校の教諭から千賀ノ浦を紹介されたが、五ツ島が所属していた出羽海部屋へ入門した。
翌日からは洗面道具と下着だけを持参して巡業に参加したが、
高校の卒業証書は高校の教諭の計らいでようやくもらえた。

子供の頃から頭がよく、運動神経も抜群だったが、
とにかく家が貧乏で、高校に行くのも大変だった。
カバンが買えないので教科書は風呂敷包みに入れ、
バスや自転車で通学する友達を横目で見ながら、
毎日、学校まで歩いて通学していた。
中古の自転車が買えたのは高校3年になってからだという。

そんな貧しい環境を知って角界に入門した晋松を応援したのは高校の同級生である。
一番に後援会をつくり、成績が思わしくない時に手紙を書いて励ましたという。
島を出た者を島から応援する気持ちが伝わり、
佐田の山自身も 「 生まれ島への思い 」 を胸に頑張れたという。

そして、地元の人は、 「 五十代横綱 」 の五十を ” ごとう ” と言うほど、
五島を誇りに思っている。