平尾台の草原一面に羊が群れるように見える石灰岩の 「 羊群原 」
まるでゴジラの背びれのような 「 鬼の唐手岩 」
村田喜代子は、文学者を数多く輩出している北九州市出身の作家である。
昭和50年 ( 1975 ) に、 「 水中の声 」 で第7回九州芸術祭小説部門で、
最優秀賞を受賞を機に文筆活動を始めた。
平成2年 ( 1990 ) に、第29回女流文学賞を受賞した 『 白い山 』 ( 文藝春秋 ) は、
「 もうすぐ死ぬ 」 と三十年間言い続け、九十歳で死ぬ 「 わたし 」 ( 作者 ) の祖母を中心に捉え、
種まきばあさん、腰の曲がった老婆、谷のばあさん ( 「 わたし 」 の夫のおば ) 、
英語で歌う老女、海産物の行商の老婆を巧みに織り込み、
老女のたくましさ、せつなさ、哀れさを描いた短編である。
祖母の死後のある日、 「 わたし 」 は姉と平尾台へドライブに出かける。
「 登り進につれて紅葉した崖に、石灰岩の岩肌が露出しはじめる。
見上げるような崖いちめんが白い岩である。 」
「 樹々の繁りは毛髪のように見える 」
「 つぎの崖が迫った。するとその岩には人間に額が浮き出ていた 」
進むにつれて 「 喉が現れる。顎が現れる。額が・・・、鼻が・・・、山肌につぎつぎに浮き出る 」
車を降り 「 わたしはいつのまにか祖母の大きな頭の上を歩いている自分に気がついた 」 のであった。
それは、平尾台を舞台に祖母への想いが、斬新に描写されている。
平尾台は我が国を代表するカルスト台地で、
広大な草原に白い石が点在する様が、羊が群れ遊ぶようで「 羊群原 」 と呼ばれている。
北九州市小倉南区、京都郡苅田町、勝山町、田川郡香春町にまたがり、
北東部の約250ヘクタールは、国の天然記念物に指定されている。
また、千仏鍾乳洞をはじめ、目白洞、青龍窟などの洞窟が点在する。
村田喜代子は、北九州市八幡西区出身。
両親の離婚後生まれたため、戸籍上は祖父母が父母となる。
市役所のミスで一年早く入学通知が来たため、1951年小学校入学。
八幡市立花尾中学校卒業後、鉄工所に就職。
1967年結婚し、二女を出産。
1977年「水中の声」で第7回九州芸術祭文学賞最優秀作を受賞。
これを境に本格的な執筆活動に入る。
1985年からタイプライターによる個人誌『発表』を作成し「文學界」同人雑誌評に送付。
1986年『発表』2号の「熱愛」が同人雑誌推薦作として『文學界』に転載され、
第95回芥川賞候補となる(該当作なし)。
続いて「盟友」(『文學界』9月号) が第96回芥川賞候補となる(該当作なし)。
1987年「鍋の中」で第97回芥川賞を受賞した。
やや怪奇味を帯びた作風だが、『龍秘御天歌』ではリアリズムに転じた。
「鍋の中」を黒澤明が『八月の狂詩曲』として映画化した際には不満で、
「ラストで許そう黒澤明」を『文藝春秋』に寄稿した。
『百年佳約』(下記参照)の挿絵を担当したスペイン在住の画家堀越千秋とは親友。
現在、泉鏡花文学賞、川端康成文学賞、紫式部文学賞選考委員。
物心がつく前から吃音があり、今も直っていない。
子どもの頃は悩んだが、社会人になってからはたいして気にならなくなったという。
受賞歴
1977年 「水中の声」で第7回九州芸術祭文学賞最優秀作。
1987年 「鍋の中」で芥川賞。
1990年 『白い山』で女流文学賞。
1992年 『真夜中の自転車』で平林たい子文学賞。
1997年 『蟹女』で紫式部文学賞。
1998年 「望潮」で川端康成文学賞。
1999年 『龍秘御天歌』で芸術選奨文部大臣賞。
2007年 紫綬褒章。
2010年 『故郷のわが家』で野間文芸賞。
2014年 『ゆうじょこう』で読売文学賞。
2016年 春の叙勲で旭日小綬章を受章。