今日、雪のため小倉競馬の開催が中止されたが、
東京競馬場で第52回クイーンカップが行われる。
応援馬はもちろん小倉2歳のチャンピオンのレーヌミノルだが、
そんなクイーンカップの想い出の馬として、
また悲運の名馬としてサンエイサンキューのことを書きたい。
父 ダイナサンキュー
母 グロリーサクラ
生年月日 / 1989年4月7日
調教師 / 佐藤勝美 (美浦)
馬主 / 岩崎喜好
生産者 / 寺井文秀
産地 / えりも町
通算成績 / 17戦5勝 [ 5-5-0-7 ]
主な勝鞍 / 札幌記念 ・ クイーンC ・ サファイヤS
サンエイサンキューは、新馬戦 ( ダート1000m ) でデビュー ( 6頭立ての2着 ) し、
翌週の新馬戦(芝1000m・7月20日)で初勝利を挙げる。
さらに3連闘で札幌3歳ステークスに出走するも13着に敗れる。
5戦目の函館3歳ステークスでそれまでの徳吉孝士から東信二へ乗り替わり、
12番人気ながら2着となる。
6戦目のいちょうステークスで2勝目をあげ、
阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)でニシノフラワーの2着。
明けて4歳(当時表記・現在の3歳)となった1992年も休むことなくレースに出走し、
初戦の2月2日のクイーンカップで重賞初制覇を飾る。
その後は牡馬クラシックのトライアル弥生賞にも出走したが6着。
この後の桜花賞では2番人気に推されるが7着。
この頃と前後して、億単位の身売り話が出て来たと言われる。
田原成貴との新コンビで臨んだ優駿牝馬ではアドラーブルの2着に敗れたが、
直線で一旦は先頭に立つなど見せ場を作った。
その後、夏期を休養にあてることなく相次いで重賞に出走。
7月5日の札幌記念に出走し、古馬を相手に勝利を収める。
その後函館記念で8着、サファイヤステークスで優勝、
ローズステークス2着、GIエリザベス女王杯5着。
加藤和宏騎乗で出走した有馬記念でのレース中(最後の直線)に
右トウ骨手根骨複骨折のため競走中止し、予後不良となった。
あまりにも過酷で過剰な出走にトウ骨がキシミ悲鳴を上げていたと聞いたことがある。
彗星のごとく天に旅立ったサンエイサンキューを忘れないためにも、
彼女が初めて重賞を勝った1992年2月2日に行われた
第27回クイーンカップを想い出のレースとさせてもらった。