多くの参拝者で賑わう太宰府天満宮本殿 と 「 飛梅 」 右端
この時期の太宰府天満宮は合格祈願の真っ盛りである。
いくら自信を持っていても、勝負と同じ 「 受験は水物 」 で、
答案用紙に書き込むまでわからない。
「 人事を尽くして天命を待つ 」 とは言っても、
それから合格発表があるまで、不安になるものである。
そんな時、 心の支えになるのが ” 神頼み ” であろう。
菅原道真は、今から約千百年前にその見識、学問は群を抜き、
国の政治を司る右大臣の職にあったが、
左大臣の藤原時平の奸計にあい、太宰権帥 ( ごんのそつ ) におとされて、
筑紫に配流された。
京の邸宅を追われる時に詠んだのが、有名な 「 東風吹かば ・・・ 」 の一首である。
延喜元年 ( 901年 ) 2月1日の梅の季節に、
謫居 ( たっきょ ・ 流罪先の住まい ) である筑紫南館へ出発の朝、
京の邸宅の紅梅殿庭前の梅は今が盛りであった。
その梅を愛で、道真は名残を惜しんで一首したためた。
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
主 ( あるじ ) なしとて春な忘れそ
その梅花は主人の後を慕って筑紫へ飛び、
それが今の太宰府天満宮本殿前の 「 飛梅 」 であると言われている。
太宰府の道真は、ひたすら恐懼 ( きょうく ) 謹慎の日々を送り、
配所の南館から一歩も外へ出ようとしなかった。
道真は三年間の苦節のすえ亡くなるが、
後世に太宰帥惟憲卿 ( これのりきょう ) が南館跡に榎寺 ( 榎社 ) を建て、
現在では小祠が残っている。
道真は南館にあっての心境を
都府楼はわずかに瓦の色を看 ( み )
観世音寺はただ鐘の声を聴く と詠んだ。
この 「 不出門 」 の詩碑は、
西鉄大牟田線都府楼前駅の前にある。
太宰府天満宮は、菅原道真をまつる学問の神様として、
全国から受験生が合格祈願に訪れる。
そして数え切れないほどの受験生の願いを聞いてきた。
そんな現在の本殿は天正19年 ( 1591年 ) に、
筑前国主・小早川隆景によって建立されたもので、
国の重要文化財に指定されている。
所在地 / 福岡県太宰府市太宰府4-7-1