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1985.6.4 第29回 阪急杯
「 猿橋さんへ・・・ 」 シャダイソフィア
猿橋さん お元気ですか?
生前は色々とお世話になりました
あの落馬から……
随分と悲しい思いをした事でしょうネ
私とのコンビで自信をつけたあなたが
私の事で落ち込んでいるのかと思うと
居ても立ってもいられません
あの桜花賞は今でも忘れていません
私の背であんなに喜んだあなたを
こうして いま思うと
大粒の涙があふれてきます
でも猿橋さん あなたは健在です
ソフィアはあなたの心の中にいつまでも居ます
そのことを忘れないで
これからも一生懸命がんばって下さい
昭和60年10月27日 京都競馬場
スワンステークスにて
左第一指関節開放脱臼のため予後不良
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シャダイソフィアは、1983年の第43回桜花賞など
中央競馬の重賞競走で3勝を挙げたが、
阪急杯の勝利の後、スワンステークスの競走中に故障を発生し、
第1指関節開放脱臼で予後不良が宣告され、安楽死の措置がとられた。
阪急杯は河内に乗り替わったが、主戦騎手は猿橋重利だった。
これまで数多くの競走馬を見てきて、
一番強くて速かった牝馬はテスコガビーだが、
快速馬だったシャダイソフィアは、絶世の美女だった。