「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎県西海市  「 面高白瀬灯台 」

2017-05-05 15:55:55 | 長崎の灯台



















































灯台表番号 / 6256
ふりがな / おもたかしらせとうだい
標識名称 / 面高白瀬灯台
所在地 / 長崎県西海市 ( 白瀬 )
北緯 / 33-05-32.4
東経 / 129-37-38
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎4秒に1閃光
光度 / 実効光度 560カンデラ 
光達距離 / 閃光 8.0海里
地上~頂部の高さ / 6.61m
平均水面上~灯火の高さ / 18.05m 
地上~灯火の高さ / 6.15m
業務開始年月日 / 明治27年8月28日
現用灯器 / LD管制器Ⅰ型


灯台が立つ面高白瀬・・・
とにかくその立地条件というか・・・
その景観に見惚れてしまった。

それが明治時代に設置されたものならば
なおさら魅力を感じる。



第12位 みずがめ座 今日のラッキーパーソン 「 きれい好きな人 」

2017-05-05 06:00:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

雨は落ちていなかったが、
いつものように散歩に出ると道路が濡れていた。
おそらく夜半に降ったのだろうが、
そのころはスッカリ夢の中である。

今日は24節気のひとつ 「 立夏 」 である。
季節は早いもので、暦の上では今日から 「 夏 」 。
寒い冬から短い春を経て暑い暑い夏がやって来る。
暑さが苦手なので、あの暑さを思うと今から憂鬱である。
そんな今日の順位は12位で、
ラッキーパーソンは、
「 きれい好きな人 」 である。


仲間と考えが合わず予定がゴタゴタ
無責任で人任せな言動は絶対にヤメよう!



   今日のコトバ

 袖振り合うも他生の縁

 ( そでふりあうもたしょうのえん )

袖振り合うも多生の縁とは、
知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、
前世からの深い因縁であるということ。

人との縁はすべて単なる偶然ではなく、
深い因縁によって起こるものだから、
どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく。

「 多生 」 とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。
「 多生の縁 」 は、前世で結ばれた因縁のこと。
「 袖振り合うも他生の縁 」 とも書く。
「 袖擦り合う ( 擦れ合う・触れ合う ) のも多生の縁」ともいう。
『 上方 ( 京都 ) いろはかるた 』 『 尾張 ( 大阪 ) いろはかるた 』 の一つ。
( 袖の振り合わせも他生の縁 )



広島県神石高原町 ・ にっぽん紀行 「 その風に乗れ / 紙ヒコーキ・タワー 」

2017-05-05 00:41:45 | 日記 ・ イベント



山の上にある 「 紙ヒコーキ・タワー 」









シンプルな紙ヒコーキ・タワー








安川さん親子









紙飛行機の折り方をみんなに教える安川さんの息子さん








元競輪選手の安川 勤さん








現役の選手時代1000mタイムトライアルのスタート前








勤ちゃんの松坂競輪場のレース ( 外の白色1番車 )






昨夜、何気にテレビを見ていたら、
高松から来ている親子だという、見覚えのある顔がテレビに映った。
「 えっ!、もしかして安川? 」 って思ったら、
やっぱりそうだった。
テレビの画面越しやったけど、スゴク懐かしく感じた。


脳性麻痺が残る息子さんと一緒に
紙飛行機に自分の人生を乗せるように飛ばす。
かつてイジメにあっていた息子さんも
紙飛行機を飛ばすことで自分をアピールし、
自分に自信をもてるようになり、それ以来イジメが無くなったという。
自分が夢中になれる物を自ら探し出した息子さんと、
納得行くまで何度もチャレンジする勤ちゃんの姿に
粘り強く諦めない現役時代の彼の走りを重ねた。

安川 勤 ( つとむ ) だが、ボクらは安川 勤 ( きん ) って言っていた。
そんな彼は参加選手の控室や検車場などでは寡黙で
体格の割には目立たない選手だったが、
戦法は自力型の豪快な先行まくりを得意としていた。
そんな彼も去年の暮で現役選手を引退して、
現在は競輪開催中の競技会の補助をしているらしいが、
これからも家族のために粘り強い人生を歩むのだろうな。

安川 勤 ( きん )ちゃんを見ていて思ったのだが、
自分も引退して何年経っても、常に競輪選手でいたいと思っているし、
何度生まれ変わっても 「 また競輪選手になりたい 」 と思う。
現役選手時代と引退してからを通して2期8年町議会議員の職に就いたが、
その後、もう一度競輪界に復帰したいと思って
日自振 ( 日本自転車振興会 ) に問い合わせた事がある。
そのとき、 「 一度登録消除になった選手の再登録は出来ない 」 と言われた。
引退以来一度もレーサーを跨ぐことは無いが、
それでも競輪選手としての誇りと夢は尽きない。