山の上にある 「 紙ヒコーキ・タワー 」
シンプルな紙ヒコーキ・タワー
安川さん親子
紙飛行機の折り方をみんなに教える安川さんの息子さん
元競輪選手の安川 勤さん
現役の選手時代1000mタイムトライアルのスタート前
勤ちゃんの松坂競輪場のレース ( 外の白色1番車 )
昨夜、何気にテレビを見ていたら、
高松から来ている親子だという、見覚えのある顔がテレビに映った。
「 えっ!、もしかして安川? 」 って思ったら、
やっぱりそうだった。
テレビの画面越しやったけど、スゴク懐かしく感じた。
脳性麻痺が残る息子さんと一緒に
紙飛行機に自分の人生を乗せるように飛ばす。
かつてイジメにあっていた息子さんも
紙飛行機を飛ばすことで自分をアピールし、
自分に自信をもてるようになり、それ以来イジメが無くなったという。
自分が夢中になれる物を自ら探し出した息子さんと、
納得行くまで何度もチャレンジする勤ちゃんの姿に
粘り強く諦めない現役時代の彼の走りを重ねた。
安川 勤 ( つとむ ) だが、ボクらは安川 勤 ( きん ) って言っていた。
そんな彼は参加選手の控室や検車場などでは寡黙で
体格の割には目立たない選手だったが、
戦法は自力型の豪快な先行まくりを得意としていた。
そんな彼も去年の暮で現役選手を引退して、
現在は競輪開催中の競技会の補助をしているらしいが、
これからも家族のために粘り強い人生を歩むのだろうな。
安川 勤 ( きん )ちゃんを見ていて思ったのだが、
自分も引退して何年経っても、常に競輪選手でいたいと思っているし、
何度生まれ変わっても 「 また競輪選手になりたい 」 と思う。
現役選手時代と引退してからを通して2期8年町議会議員の職に就いたが、
その後、もう一度競輪界に復帰したいと思って
日自振 ( 日本自転車振興会 ) に問い合わせた事がある。
そのとき、 「 一度登録消除になった選手の再登録は出来ない 」 と言われた。
引退以来一度もレーサーを跨ぐことは無いが、
それでも競輪選手としての誇りと夢は尽きない。