あれはちょうど去年の今頃だった。
前橋競輪での仕事を終えて、羽田から出版社(芸風書院)に
電話を入れて知った訃報に、一瞬自分の耳を疑った。
まさかと思い、もう一度聞き直した。
萩原迪夫さん(日本現代詩歌文学館振興会副会長、芸風書院社長)が亡くなったのだ。
肝硬変のため順天堂病院に入院、加療中の身であったことは知っていたが、
こんなに早くとは思ってもみなかった。
私が初めて萩原さんと会ったのは、
そぼ降る雨の中を傘を差して迎えに来てくれた後楽園駅の改札口だった。
小柄で眼鏡をかけ、優しそうな顔をして立っていた。
これが、最初で最後の出会いであった。
これまで出版に際して、幾度となく手紙のやり取りを行なってきたが、
実際こうしてお会いするのは初めてであった。
喫茶店で小学館のデスクを交えて文学や出版の話、
それに競輪や競馬などいろんな話をした。
前日行なわれた競馬(京王杯スプリングカップ)に話題が移ると、
みんなは興奮気味に話した。
このレースを勝った馬はシンウインドである。
萩原さんとは 「 今年の暮れか、来年そうそうにでも単行本として」という返事をいただいて、
水道橋の駅で別れた。
その後、お互い手紙の交換で状況を知らせ合った。
夏に過労で肝臓を苦しめ入院しているとの便りが届いた。
『 病室には私の好きな馬を飾っています。これを私は牧場と呼んでいます。』
などと書かれた手紙を手にして、
私と萩原さんの共通の思い出の馬 『 シンウインド 』 の壁掛けと
ブローチを作って送る約束をした。
それはお盆のころの暑い日だったように思う。
シンウインドが着いてすぐのお礼の便りに『シンウインドありがとうございました。
早速牧場に入れさせていただきました。』
『肝血管腫瘍という厄介な病気は手術も危険ということで、
目下全身をチェックしながら進めています。』と書かれてあった。
その後、三度便りが来たが、
それほどまで悪くなっているとは思わなかった。
『私が二十年余にわたりすすめてきた日本現代詩歌文学館が
この五月二十日に開館いたしました。
ここ数年は全国を巡り振興会を結成し、
みなさんの協力をお願いして参りました。
文学館の完成までといった気持ちで少々無理をしたものですから、
入院を余儀なくされました。』( 中略 )
『小学館の相賀社長には貴方のことを話してあります。
生きているうちに貴方のものはなんとか出版したいと思っています。』
という自筆の手紙のあと代筆で
『貴方の詩集のことをいろいろ考えています。』と便りが届いたが、
急逝されるとは思ってもみなかったので残念でたまらなかった。
もっとたくさんのことを話したかった。