モーゼは、既に40日間も山に篭った、「山を降りろ、お前の民は堕落している」との神のお告げを聞いて二幕四場でモーゼは山から下りてくる。「黄金の子牛」の退廃に民の繰り広げる乱交の数々を見て、怒りに神の十戒の記された石版を叩き割る。こうして、モーゼは改めて戒律を受け取る。人の前に法はなく、人の後に法がある事がここで知れる。モーゼは、その杖で強く地面を突き、後退りしながら線を引いていく。ペーター・シュタインの舞台演出である。三幕が未完成のため二幕五場が最終景となる。モーゼにより火にこめられた金の子牛の永遠性は否定され、奇跡も否定される。
反証のための戒律だけでなくて、近代西洋はこの律法の影響を避けて通れない。現在のイスラエルは、様々な工夫をしながら法的に近代社会の態をなしている。しかし実際には、非ユダヤ教徒がイスラエル国民になるためにはいくつものハードルがはだかっている。憲法上では信教の自由を認めながら、生活共同体で受け入れられないことには住所すら持つことが出来ない。
創世記に書いてあるように、月曜日から安息日までを決められて生活する原理主義のユダヤ人は西欧では少数派である。しかし、これがキリスト教化して意味は大きく異なりながらも西欧の生活観に組み込まれている。先日までは食生活においても、ドイツプロテスタントは、金曜日などに肉を食す事はなかったという。日曜日に開店するには、条件を満たさなければならない。運送業もドイツ内の週末の走行は一切禁止されていた。安息日は守らなければならない。京都議定書を守って資源を節約することもこれに繋がるだろうか。
資本主義再考が与党ドイツ社会民主党首ミュンタフェリンから政治課題として呼びかけられ、いよいよ具体的な議論になって来た。既に投資家のジョージ・ソロースやノーベル賞経済学者のシュティグリッツなどは、国際的なルールの欠如を警告している。ギュンター・グラス氏や野党キリスト教民主同盟のガイスラー氏も、硬直した資本主義という死体の上を跨ぐような経済信奉を警告していて、保守派からリベラル派までを含めて大きな広がりを見せている。
上場会社の役員の給与をその株式のインデックスに依って上限を設定しようと言う案が出ているようだ。殆んど株式市場の市場性に影響するところまで議論は進んでいる。このような議論は、何時も不公平の是正と言う旗印に僻み、妬みの「被害者意識」が滲むが、それは何も個人のレベルに留まらない。経済成長にブレーキが掛かる工業先進国から高成長が望めるインドや中国へのルサンチマンでもある。
結局、これは安息日すら守らない「不道徳」な人間に対する民主主義と言う戒律を与える事に他ならない。低賃金で働かせ、先進国で安い商品を売りまくり、搾取する者は近代文明の粋であるテクノロジー等を使うべからずと言う理屈である。人権と環境を盾として「不道徳」を攻撃して行くだけでなく、様々な方法で共通の空間を構築していく。新秩序への議論として、またはグロバリゼーションの中でのEU社会主義のあり方を捉える意味で、目が離せない。
1930年当時に作曲に取り掛かり米国への亡命を経て未完成となったこの該当の舞台作品に萌芽していたものは、火柱が上がり煙柱が立つ昇る最後の情景に見るような、現代の我々が描く現代であろう。今夏ザルツブルク音楽祭で、今は亡き鬼才ジャン・ポール・ポネルの演出で再演されるという。二十年前のプリミエ時の録音を聞くと、その演出と演奏は現代では可也厳しく受け止められるだろう。シェーンベルクがその筆を折ったように、地球システムの爛熟に退廃の匂いを嗅ぐような悪趣味の時代は終わった。
「神のお告げである、私の考えは気違いじみて、語ることなど出来ぬ。言葉もない。」とモーゼは地面に倒れこむ。
PS.
- フランツ・ミュンタフェリング氏の発言は、早速各地のギムナジウムの教材になっているようだ。ジャーナリストの記事も出てきた。
参照:
否定の中で-モーゼとアロン(1) [ 文学・思想 ] / 2005-05-02
蛇が逃れる所-モーゼとアロン(2) [ 音 ] / 2005-05-03
イナゴの大群-FAZを読んで [数学・自然科学]/2005-05-05
反証のための戒律だけでなくて、近代西洋はこの律法の影響を避けて通れない。現在のイスラエルは、様々な工夫をしながら法的に近代社会の態をなしている。しかし実際には、非ユダヤ教徒がイスラエル国民になるためにはいくつものハードルがはだかっている。憲法上では信教の自由を認めながら、生活共同体で受け入れられないことには住所すら持つことが出来ない。
創世記に書いてあるように、月曜日から安息日までを決められて生活する原理主義のユダヤ人は西欧では少数派である。しかし、これがキリスト教化して意味は大きく異なりながらも西欧の生活観に組み込まれている。先日までは食生活においても、ドイツプロテスタントは、金曜日などに肉を食す事はなかったという。日曜日に開店するには、条件を満たさなければならない。運送業もドイツ内の週末の走行は一切禁止されていた。安息日は守らなければならない。京都議定書を守って資源を節約することもこれに繋がるだろうか。
資本主義再考が与党ドイツ社会民主党首ミュンタフェリンから政治課題として呼びかけられ、いよいよ具体的な議論になって来た。既に投資家のジョージ・ソロースやノーベル賞経済学者のシュティグリッツなどは、国際的なルールの欠如を警告している。ギュンター・グラス氏や野党キリスト教民主同盟のガイスラー氏も、硬直した資本主義という死体の上を跨ぐような経済信奉を警告していて、保守派からリベラル派までを含めて大きな広がりを見せている。
上場会社の役員の給与をその株式のインデックスに依って上限を設定しようと言う案が出ているようだ。殆んど株式市場の市場性に影響するところまで議論は進んでいる。このような議論は、何時も不公平の是正と言う旗印に僻み、妬みの「被害者意識」が滲むが、それは何も個人のレベルに留まらない。経済成長にブレーキが掛かる工業先進国から高成長が望めるインドや中国へのルサンチマンでもある。
結局、これは安息日すら守らない「不道徳」な人間に対する民主主義と言う戒律を与える事に他ならない。低賃金で働かせ、先進国で安い商品を売りまくり、搾取する者は近代文明の粋であるテクノロジー等を使うべからずと言う理屈である。人権と環境を盾として「不道徳」を攻撃して行くだけでなく、様々な方法で共通の空間を構築していく。新秩序への議論として、またはグロバリゼーションの中でのEU社会主義のあり方を捉える意味で、目が離せない。
1930年当時に作曲に取り掛かり米国への亡命を経て未完成となったこの該当の舞台作品に萌芽していたものは、火柱が上がり煙柱が立つ昇る最後の情景に見るような、現代の我々が描く現代であろう。今夏ザルツブルク音楽祭で、今は亡き鬼才ジャン・ポール・ポネルの演出で再演されるという。二十年前のプリミエ時の録音を聞くと、その演出と演奏は現代では可也厳しく受け止められるだろう。シェーンベルクがその筆を折ったように、地球システムの爛熟に退廃の匂いを嗅ぐような悪趣味の時代は終わった。
「神のお告げである、私の考えは気違いじみて、語ることなど出来ぬ。言葉もない。」とモーゼは地面に倒れこむ。
PS.
- フランツ・ミュンタフェリング氏の発言は、早速各地のギムナジウムの教材になっているようだ。ジャーナリストの記事も出てきた。
参照:
否定の中で-モーゼとアロン(1) [ 文学・思想 ] / 2005-05-02
蛇が逃れる所-モーゼとアロン(2) [ 音 ] / 2005-05-03
イナゴの大群-FAZを読んで [数学・自然科学]/2005-05-05