日曜日はなぜかYOUTUBEを一日中見てしまった。映像の力も見直すことが出来た。また映像の無力も再確認出来た。
俗に言う音楽VIDEOそれもピアノのものなどを探すとダイジェストでなくソナタ全曲がそのままアップされているのである。TV制作品なら元々公共のものであり仕方ないと思うが、制作作品で市場に出ている物がこうして提供されるのを見ると、ああした制作品がいかにYOUTUBEから料金を徴収してもなかなか採算が取れない状況が窺える。
例えばピアノソロの映像などは必要な者にとってはこうしてVIDEOで見てしまえば用が足りて、それ以上に購入する必要もない。また、音楽愛好家にとっては結局映像は音楽鑑賞には殆ど役立たず音声だけで用足りるので、こうした映像は一度見れば充分で二度と見ないだろう。
しかし、オリヴィエー・メシアンの「アシズの聖フランソワ」初演のカットは素晴らしい。CDは、当時から所持していたのだがその演出が一部とはいえこうしてみらるのは貴重である。映像の存在は予想していたが、それを見たのは初めてである。その音質も映像も決してよくないが大変有意義なもので、当時TVで放送されたものなのだろう。
二幕の大詰めの第六景は、この作曲家のお得意である鳥との対話のシーンでその最後は、会話の出来る聖人の祝福を受けたひっきりなしの鳥の四組に別れたざわめきの合唱と東西南北に飛び去る場面である。
十字架が白く浮かび上がる演出は、ピーター・セラーズ演出、ケント・ナガノ指揮によるザルツブルク二度目の公演とは全く異なったものであり、初演の様子を圧倒的に伝えている。小沢さんの指揮振りも、まさに天与のものとして、このVIDEOとして永遠に記録されるだろう。
それからするとここでも触れたが、オークションでただ二つだけ手に入れることが出来たシェロー演出ブーレーズ指揮の「ニーベルンゲンの指輪」四部作なども、殆ど繰り返して観ることはない。そして、落せなかった「神々の黄昏」をネットで摘み見すると、充分に用は足りて急いで購入する必要がなくなる。当時ラジオ等で批判を聞いていた面や故ギネス・ジョーンズ女史の終景などを見ると購入意欲が薄らいでしまうのだ。
俗に言う音楽VIDEOそれもピアノのものなどを探すとダイジェストでなくソナタ全曲がそのままアップされているのである。TV制作品なら元々公共のものであり仕方ないと思うが、制作作品で市場に出ている物がこうして提供されるのを見ると、ああした制作品がいかにYOUTUBEから料金を徴収してもなかなか採算が取れない状況が窺える。
例えばピアノソロの映像などは必要な者にとってはこうしてVIDEOで見てしまえば用が足りて、それ以上に購入する必要もない。また、音楽愛好家にとっては結局映像は音楽鑑賞には殆ど役立たず音声だけで用足りるので、こうした映像は一度見れば充分で二度と見ないだろう。
しかし、オリヴィエー・メシアンの「アシズの聖フランソワ」初演のカットは素晴らしい。CDは、当時から所持していたのだがその演出が一部とはいえこうしてみらるのは貴重である。映像の存在は予想していたが、それを見たのは初めてである。その音質も映像も決してよくないが大変有意義なもので、当時TVで放送されたものなのだろう。
二幕の大詰めの第六景は、この作曲家のお得意である鳥との対話のシーンでその最後は、会話の出来る聖人の祝福を受けたひっきりなしの鳥の四組に別れたざわめきの合唱と東西南北に飛び去る場面である。
十字架が白く浮かび上がる演出は、ピーター・セラーズ演出、ケント・ナガノ指揮によるザルツブルク二度目の公演とは全く異なったものであり、初演の様子を圧倒的に伝えている。小沢さんの指揮振りも、まさに天与のものとして、このVIDEOとして永遠に記録されるだろう。
それからするとここでも触れたが、オークションでただ二つだけ手に入れることが出来たシェロー演出ブーレーズ指揮の「ニーベルンゲンの指輪」四部作なども、殆ど繰り返して観ることはない。そして、落せなかった「神々の黄昏」をネットで摘み見すると、充分に用は足りて急いで購入する必要がなくなる。当時ラジオ等で批判を聞いていた面や故ギネス・ジョーンズ女史の終景などを見ると購入意欲が薄らいでしまうのだ。