Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

永遠に続く生の苦しみ

2007-12-09 | 文学・思想
ラジオ放送「ファウストュス博士」の最終回である。放送の録音をその後思いのほか時間を掛けて編集整理して、更に原文を捲り、改めて聞いている内に、直後の感想から随分と変わっていった。

それは、あまりにも情動的に一気呵成に破局へと至る描写から、もう一度物語を振り返って、その構造に潜む効果に気がついたからである。端的に表現すると、この作品自体が、アドルノ自身の論文を参照しなければ連想以外には何一つ語らない音楽議論の、その構造を読者に示唆することで、文章による芸術表現としての構造化の試みに立脚しているからである。

一部論文などでは時間による入子構造が論じられているようだが、それは、こうした破局の表現としては、どうしても時間の非連続性の表出が不可避なので、当然の帰着であろう。それは同時に過去から過去を扱う場合、もしくは現在の読者が異なるパースペクティヴでその語り手の言葉を読むとき、突然過去の過去から将来を見る視点と同時に過去から現在、現在から将来への視点が生まれることだけでも言及しておきたい。

その破局の状況は、例えばヴァイマール郊外のブッヘンヴァルト強制収容所の解放と連合軍がそこに市民を招集した史実として述べられる。それを、我々はハリウッドの映画人が一部始終を撮影した映像として観ていてよく知っている。そして語り手は、1945年4月のこととしてこれを語り、「焼かれた肉の死臭を嗅ぎながら知らぬ振りを通した、ヴァイマール・クラシック文化を愛でて、啓蒙された中部ドイツのプロテスタンティズム本流の善良な市民の絶望」として、もしくは千年のドイツの歴史の全否定として、今後とも消し去れない恥として言及する。ドイツ民族は、ユダヤ人に代わって支配されてゲットーに暮らすべきか、それとも将来など一体あるのかと懐疑する。

永遠に続くであろうこうした苦しみが、主人公が最後に愛した五つになる甥っ子エコーの死から主人公の死に至るまでの生きる苦しみに重ねられる。スイス方言を話す天使のような無垢な子供の姿は、書き言葉を越えた話し言葉の世界の、要するに肉体と精神の未分化な姿であるかもしれない。それは、その名が示す音響的な「形而下の物理現象としての認識」の存在である以上に、敗戦に至ってドイツ文化とその言語の野蛮なシステマティックな文法に支配された肥大化を嘆き、金輪際「ドイツ語によって詩を書くことはならない」とする「形而上の文化」への絶望的なアンチテーゼとなっている。

脳炎に苦しむ痛いけな子供がモルヒネによって寝かされている時、悪魔との契約に次から次へと愛する者を失う主人公の仕事部屋を語り手は訪ねる。その罪の責め苦が、主人公を悪魔に呪われた姿にして読者を驚かせる。リンダ・ブレアー主演の映画「エクソシスト」を思い浮かべるに十分なオカルトの情景である。そうした迫真の情景は、作曲家が新作オラトリオ「ファウストの嘆き」発表に際して、郊外の自宅へとミュンヘンの社交界の諸々を招いたガイダンスの会においての決定的な演説へと引き継がれる。

その「悪魔との契約」の公表は、順々に訪問者の途中退席をみながらも、多くの参加者の驚愕の内に、詩的な芸術的な趣と混同されながら進められるが、最後には完全に一同から拒絶されて、騒動の内にピアノの前の作曲家は椅子から転げ落ち意識を失う。そして、その倒れた体を誰よりも真っ先に抱え起こしながら大家のシュヴァイゲシュティル婦人はオーバーバイエルンの方言で叫ぶ。

「あんた達は皆同じ穴の狢だよ。全然分かってないね。都会のあんた達は、分からんかね!永遠の許しをこんなにも請うたんじゃないか。可愛そうな人だよ。許しが妥当かどうかは私には判んない。でもね、人間的に理解することが正しいんじゃないかと思うよ。誰にとってもね」。

後書きとして綴られるのは廃人化して年老いた母親に付き添われる主人公の姿である。ニッチェの晩年をモデルにした、この既にコミュニケーションの取れない竹馬の友である作曲家の様子を見ながら「もしかすると昔のプロテスタンティズムの教えのように肉体を悪魔に捧げることで、苦悩から解放されたいと思っているかもしれない」と語り手はふと思う。この生まれ故郷に戻った友人の姿は、その様子をしみじみと見ながら漏らす語り手の情景描写に、最近も話題となった大掛かりなスイスの安楽死協会の話題を思い出させ、読者を震え上がらせるかも知れない。

出版後六十年間の歳月は長いようでも、こうして繰り返し読まれることで、その内容は今でも決して古びない。そして何時かは、これも古典として広く読まれることになるのであろうか?

トーマス・マンは、1949年フランクフルトのパウリス教会にてゲーテ賞を受け取り次のように語っている。

「人はドイツにいなかったので、なにも知らず経験もしていないと言うかもしれない。どうして、私は居ました。居なかったとは、この作品を読んでから言えることです」


写真:シュヴェチィンゲンに展示されたジェフリー・イサークの作品集「悪魔」より



参照:「ファウストュス博士」索引 [ 文学・思想 ] / 2007-12-09
コメント (4)
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