Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

気がふれぬ中にお暇する

2008-04-10 | 生活
そろそろ、お暇する時期かと思っている。見るもの聞くもの珍しさは、珍奇さでしかなくなってきた。これ以上長居してもいけないような気がしてきた。はやばやとホームシックである。あの美しい、ワイン街道、ああ、我がプファルツ!

文化の典型としての食生活にあって、いよいよワインの底がつくとなると、致し方ない。胸がむかつき気味で、胸の痛みへと繋がりそうである。食事が合わないと言うことは、水が合わないことで、空気が合わないことでもある。

それにしても、食生活をみるとそこの文化の全てが分かるような気がする。一体、肉料理も麺類もなべも何もかもにキムチやら何やらが入る日本の朝鮮化は解せない。幾ら帰化人が為政者となって築いた日本文化と言っても、今更の先祖帰りのような食生活は一体なんだろう。

自宅のワイン街道と比べて惨憺たる野菜の供給は、BLOG「ザ大衆食つまみぐい 」のエンテツさんが農水省の食料自給率を偽装とする異なる視点から検証している。

しかし一体あの細切れにされた屑のような野菜の高値はどうしたことか。あんなものを食していてバイオなどとはおこがましい。泥がついたものはそこで捨てれば良いではないか。兎に角、供給量や購買量はドイツの半分にも至らないであろう。結局、煮ても焼いても、日本人の野菜摂取量は少ないようであり、白米で腹を膨らましているだけではないか?

魚も思ったほど良くない。生で食せるだけ新鮮なのだろうが、その量や質は都市部では限られているような気がする。その価格から予想したほど消費されていない気がする。

切り身の魚などは、重量あたりの価格も重量も明示せずに売りつける生協などをみて、それを店頭で質問しても真っ当な回答が得られず、腑に落ちない気楽さは一体何なのだろう。消費者保護どころか消費者を愚弄しているとしか見えないのだ。

如何につまらないものにつまらない金を投じた生活をしているのか、日本社会の不思議さはそこに凝縮されているかの感さえある。

止むを得ず ― なかなかこの表現には正直不可思議な感慨があって、この時間あのバルティック海にさしかかろうとしていたかと思うと、あの美しい欧州の空が目に浮かぶ ― 滞在を延長したが、これにて寅さん映画ならば上演時間は既に一時間を優に越えて終幕へと向かうころである。

電車に乗ると、押し迫る家並みに気分が悪くなり、町を歩けば、目に飛び込んでくるアジア的な奇抜な看板は目に突き刺さり痛く、横断歩道やスーパーでは、馬鹿な音が流れ耳が痛い。

よくも気がふれないことよ。

昼食は、鰈の煮つけと米にぶっかけそば。夕飯は、切り身にしていない鰹のたたきと1993年物のマルゴーか。
コメント (6)
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