Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

女子供文化の先祖帰り

2008-04-20 | 文化一般
飲食・飲酒して夜十時前には眠くなった。煩雑で面倒な荷物を持って総武線から都内へと乗り継ごうと、一旦下車するとドアがしまって戻れなかった夢を見て目が覚めた。未明の三時過ぎである。しかし電車は赤かった。いつもの進行方向とは異なるが、なにやら乗り損ねた電車があったとは意識していなかった。

そこで躊躇して乗り遅れる原因となる荷物や一端下車した理由こそが肝要なのだ!

今回懐かしい銀座有楽町を訪れたのは全く偶然であった。嘗ての都営丸の内線での行動範囲に図らずも戻った。それほど長くない期間であったが中央線沿線に暮らしていた事を思い出した。

これで、富士山は見えなかったが、通天閣・京都タワー・東京タワー・神戸ポートタワーの全てを眺めた。横浜の桜木町の銀行街も叔父の所に歯を治しに行ったのが懐かしい。痺れた口元で頭取さんにも紹介された記憶がある。

北極圏遊覧飛行を経て、蒲焼をひつまぶしにして食べたあと、フランクフルトにザクセン上空から侵入した。出掛けの想いとは別にいつもの様にその美しさに感極まるものがあるかと思ったのだが、意外にそれはなかった。北極圏の光景があまりにも圧巻だったからだろうか。

あのアジアの雑然と混沌を逃れ、ハングルや簡略中国語が聞こえ見える日本は益々混迷を極めているとしか言いようがない。本物の民族主義者は、このような事態に文化的な発言をしているのだろうか?似非多文化主義や容易な先祖帰りは許されない。

どうしようもない感傷に溢れ、主観を持って「環境を洞察」する無秩序な日本の文化人は恥を知れ!

町を歩けばその管理された無秩序に目がついていかない。情報を整理されて始めてその内容を伝達する。アジア的無秩序は、無関心を呼びその環境を捉えがたいものにする。だから彼の文士が語ったように、「非常事態の最後に残るものは性欲という愛国心」しかないのである。

ハイデルベルクから車でプファルツを廻ってワイン街道に戻ってくると、なんとも人間臭く、歩いているものの姿が田舎臭い。初めて訪れた時の印象を髣髴する。しかしその田舎は、そこの方言と同じように、作られて保存されているものと直に気がつく。

ゴッホの絵のような肉眼で見れるガスに色づく太陽と強い日差しやベルクシュトラーセの緑の丘や山城のシルエットは、その軽く羽根が生えるような大気に何一つ感傷的な主観を与えない。そこにあるのは齎された秩序でしかない。自らの与えられた手をもって、意思をもって、計画されたパラダイス環境そのものなのである。

銀座のカウンターで「世界観」という言葉に身を震わせ布団を被って押入れに母体回帰をする、未発達なそれから自らの環境すら見れない婦女子の世界はここにはない。

何故に日本の宗教感は幼稚を極め、その思考や文化は幼稚なのか?その社会は、成人していないのか?

本棚に見つけたまだまだ処分していなかった「日本の文化人」の多くの本を船便で送る一方、未発達な思考の小林秀雄のものを持ち帰り、親日派としてそれを研究している。


参照:
痴漢といふ愛国行為 [ 雑感 ] / 2007-11-26
気がふれぬ中にお暇する [ 生活 ] / 2008-04-10
白夜に近い時差との戦い [ 暦 ] / 2008-04-19
コメント (6)
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不思議な風景と惜別の情

2008-04-20 | 雑感
訪日前には、なぜか「帰ってくるのだろう?」と宣う者までいて、なにやらおかしな雰囲気を醸し出していたのかなと今思う。以前と比べても、旅行前になにやら特別感傷的な想いがなかった訳でもない。我ながら不思議に思っている。

敢えて言えば、日本での日程や段取りが直前まで決定していなかった状況を反映していて、出た所勝負の旅行であったからだろう。だからか上空からみた日本の不思議さ以上にドイツの空を離れるのが忍びなかった。

そして、今回は日本国内を旅行する予定は皆無であった。それでも建築中の写真などを見せてもらっていた友人の新築の家に、「どうぞ日本間を使ってください」と招かれていて、時間があれば立ち寄りたいと思っていた。

結局、第二週目に帰路のブッキングを変更して、滞在第三週目のフライトを予約した。滞在を延長するならば湘南の家を訪問する可能性を伝えていただけに、延長後直ぐの週末に訪問を決めた。その近所には、妻帯後初めて会う友人も住んでいて、残った最後の一本のワインを皆に飲ませたいと思ったのである。

既に報告した鎌倉見物はおまけのようについて来たのだった。今回の滞在の中でも予定外ということもあり束の間の休日を味わうだけでなく、旧交を温める事が出来て新鮮なワインの味も格別だったのである。

そして、新婚当時にドイツに滞在していて、スキーツアーにも何度もご一緒した奥さんやそこで生まれて十歳になる娘さんにも再会した。なんと言ってもそこで出された食事の数々は、その当時に一度お呼ばれしたものが、更に進化した料理の腕で図らずしも特にリースリングワインに推奨できる日本食の皿となって出されたのには感激した。

一つはたらの芽の天ぷらであり、もう一つは鯵の梅酢サラダであった。前者の苦味はむしろ苦味のきついジルファーナーなどの白ワインにも合うが、後者の梅酢との組み合わせは野菜独自の香味と共にリースリングにはなんとも見事な一品であった。

前者はフォン・バッサーマンヨルダンの2007年産キーセルベルクと食されて、この些かの素っ気無さを旨みに変える苦味を与えてくれたようで、現時点で最高のリースリングとして紹介したワインが日本で高い評価を得て満足している。後者はライタープファードの青林檎ともニワトコの花とも言われるフルーティーさを梅が押さえつつ際立たせてくれた。

その他に手作りのさつま揚げも素晴らしく、今後当方でレシピーを貰い研究する事にした。ちょっとした工夫で日本料理もドイツリースリングに合わせる事が出来るのである。

日本間の蛍光灯の下で旅の荷を紐解き、息子の嫁に感謝して胸を一杯にする三国連太郎紛する田舎から出てきた親父のような気持ちになって、蛍光灯の紐を引っ張って床についた夜であった。
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