飲食・飲酒して夜十時前には眠くなった。煩雑で面倒な荷物を持って総武線から都内へと乗り継ごうと、一旦下車するとドアがしまって戻れなかった夢を見て目が覚めた。未明の三時過ぎである。しかし電車は赤かった。いつもの進行方向とは異なるが、なにやら乗り損ねた電車があったとは意識していなかった。
そこで躊躇して乗り遅れる原因となる荷物や一端下車した理由こそが肝要なのだ!
今回懐かしい銀座有楽町を訪れたのは全く偶然であった。嘗ての都営丸の内線での行動範囲に図らずも戻った。それほど長くない期間であったが中央線沿線に暮らしていた事を思い出した。
これで、富士山は見えなかったが、通天閣・京都タワー・東京タワー・神戸ポートタワーの全てを眺めた。横浜の桜木町の銀行街も叔父の所に歯を治しに行ったのが懐かしい。痺れた口元で頭取さんにも紹介された記憶がある。
北極圏遊覧飛行を経て、蒲焼をひつまぶしにして食べたあと、フランクフルトにザクセン上空から侵入した。出掛けの想いとは別にいつもの様にその美しさに感極まるものがあるかと思ったのだが、意外にそれはなかった。北極圏の光景があまりにも圧巻だったからだろうか。
あのアジアの雑然と混沌を逃れ、ハングルや簡略中国語が聞こえ見える日本は益々混迷を極めているとしか言いようがない。本物の民族主義者は、このような事態に文化的な発言をしているのだろうか?似非多文化主義や容易な先祖帰りは許されない。
どうしようもない感傷に溢れ、主観を持って「環境を洞察」する無秩序な日本の文化人は恥を知れ!
町を歩けばその管理された無秩序に目がついていかない。情報を整理されて始めてその内容を伝達する。アジア的無秩序は、無関心を呼びその環境を捉えがたいものにする。だから彼の文士が語ったように、「非常事態の最後に残るものは性欲という愛国心」しかないのである。
ハイデルベルクから車でプファルツを廻ってワイン街道に戻ってくると、なんとも人間臭く、歩いているものの姿が田舎臭い。初めて訪れた時の印象を髣髴する。しかしその田舎は、そこの方言と同じように、作られて保存されているものと直に気がつく。
ゴッホの絵のような肉眼で見れるガスに色づく太陽と強い日差しやベルクシュトラーセの緑の丘や山城のシルエットは、その軽く羽根が生えるような大気に何一つ感傷的な主観を与えない。そこにあるのは齎された秩序でしかない。自らの与えられた手をもって、意思をもって、計画されたパラダイス環境そのものなのである。
銀座のカウンターで「世界観」という言葉に身を震わせ布団を被って押入れに母体回帰をする、未発達なそれから自らの環境すら見れない婦女子の世界はここにはない。
何故に日本の宗教感は幼稚を極め、その思考や文化は幼稚なのか?その社会は、成人していないのか?
本棚に見つけたまだまだ処分していなかった「日本の文化人」の多くの本を船便で送る一方、未発達な思考の小林秀雄のものを持ち帰り、親日派としてそれを研究している。
参照:
痴漢といふ愛国行為 [ 雑感 ] / 2007-11-26
気がふれぬ中にお暇する [ 生活 ] / 2008-04-10
白夜に近い時差との戦い [ 暦 ] / 2008-04-19
そこで躊躇して乗り遅れる原因となる荷物や一端下車した理由こそが肝要なのだ!
今回懐かしい銀座有楽町を訪れたのは全く偶然であった。嘗ての都営丸の内線での行動範囲に図らずも戻った。それほど長くない期間であったが中央線沿線に暮らしていた事を思い出した。
これで、富士山は見えなかったが、通天閣・京都タワー・東京タワー・神戸ポートタワーの全てを眺めた。横浜の桜木町の銀行街も叔父の所に歯を治しに行ったのが懐かしい。痺れた口元で頭取さんにも紹介された記憶がある。
北極圏遊覧飛行を経て、蒲焼をひつまぶしにして食べたあと、フランクフルトにザクセン上空から侵入した。出掛けの想いとは別にいつもの様にその美しさに感極まるものがあるかと思ったのだが、意外にそれはなかった。北極圏の光景があまりにも圧巻だったからだろうか。
あのアジアの雑然と混沌を逃れ、ハングルや簡略中国語が聞こえ見える日本は益々混迷を極めているとしか言いようがない。本物の民族主義者は、このような事態に文化的な発言をしているのだろうか?似非多文化主義や容易な先祖帰りは許されない。
どうしようもない感傷に溢れ、主観を持って「環境を洞察」する無秩序な日本の文化人は恥を知れ!
町を歩けばその管理された無秩序に目がついていかない。情報を整理されて始めてその内容を伝達する。アジア的無秩序は、無関心を呼びその環境を捉えがたいものにする。だから彼の文士が語ったように、「非常事態の最後に残るものは性欲という愛国心」しかないのである。
ハイデルベルクから車でプファルツを廻ってワイン街道に戻ってくると、なんとも人間臭く、歩いているものの姿が田舎臭い。初めて訪れた時の印象を髣髴する。しかしその田舎は、そこの方言と同じように、作られて保存されているものと直に気がつく。
ゴッホの絵のような肉眼で見れるガスに色づく太陽と強い日差しやベルクシュトラーセの緑の丘や山城のシルエットは、その軽く羽根が生えるような大気に何一つ感傷的な主観を与えない。そこにあるのは齎された秩序でしかない。自らの与えられた手をもって、意思をもって、計画されたパラダイス環境そのものなのである。
銀座のカウンターで「世界観」という言葉に身を震わせ布団を被って押入れに母体回帰をする、未発達なそれから自らの環境すら見れない婦女子の世界はここにはない。
何故に日本の宗教感は幼稚を極め、その思考や文化は幼稚なのか?その社会は、成人していないのか?
本棚に見つけたまだまだ処分していなかった「日本の文化人」の多くの本を船便で送る一方、未発達な思考の小林秀雄のものを持ち帰り、親日派としてそれを研究している。
参照:
痴漢といふ愛国行為 [ 雑感 ] / 2007-11-26
気がふれぬ中にお暇する [ 生活 ] / 2008-04-10
白夜に近い時差との戦い [ 暦 ] / 2008-04-19