Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

クレーマーの楽しみ方

2008-04-22 | 雑感
やっと朝まで熟睡できた。夜九時過ぎには、腎臓を含む煮豚を安物リースリングと共に楽しんだためか、起きていられずに就寝した。そして、朝五時前に目が覚めた。

日本からの帰路は、エコノミークラスのそれも幾らか空きのある後ろ部分に席を取らせた。勿論席が空いた場合は多数の席を独占するためである。しかし、嘗て有ったようにジャンボ飛行機で四つの席をベットにして使えるような状況では全くなかった。

するとエアバスの細身は、座席の狭さとして乗客に不便を強いる。飛行機自体は、そのエンジンの騒音も少なく飛行挙動も大変快適であるが、流石に座席は狭い。体格にもよるが、座って旅行するだけなら問題ないのかもしれないが、往路のように就寝とか、座席での業務とかとなると絶望的である。カメラひとつ置く場所がない。

ファースト然とした二メートルほど前があいている頻繁に使う最前席との差は甚だしい。早速ルフトハンザにご意見を認めた。客室乗務員達が厭な顔をするようなエコノミーに対する意見ではなくて、往路のビジネスクラスへのクレームを書いた。

杯が進まない燻し味のシャンパンやワインは、その折角の各々のチョイスに関わらず全体として清涼感を与えないものであった事、そしてそれが経費節約を乗客に押し付けたようにしか感じなかった事、名門ホテルのシェフがイタリア人と言っても何故にイタリア料理をドイツナショナルフラッグで食さなければいけないかなどを分かり難い字で書き殴った。

通路に立ちながら、日本円を片付けながら、ユーロと入れ替えている時に、落としたコインの残りを備え付けの袋に入れて募金に協力したのでそれをも一緒に渡した。コインが機体の後ろまで転がって行ったのは水平飛行に移っておらずベルト着用がまだ消えていなかったようだった。あの掲示も分かり難い。

帰りに出たリースリングはバーデンの安物でも悪くなく、ゼクトも甘いがいっぱいだけならそれほど悪くはない。エコノミーならそれほど文句を付けれないだろう。更に、乗客乗務員達は遊び呆けているので、物がある場所はバーとしてセルフサーヴィスに解放されている。A380のサルーンを髣髴させるそれは楽しい。兎に角、座っているとなにも出来るスペースがないので、出来る限り歩き回る用件を見つける。

幸いながら北海道までは気流の流れが悪く比較的揺れや小さなエアーポケットがあったが、その後は安定した。入口では、通常の三紙が提供されていたが、前席のオヤジさんが読んでいるFAZは見つからなかった。

搭乗後の出発が遅れているに関わらず、歓迎ドリンクが出て来ないので喉が渇いたのは不満であったが、食事は往路よりも復路の方が文句はなかった。トイレも地階の方が場所も多く、前部よりも快適と感じる。元は取れたか?

乗客は、廉いチケットを購入したフランス人旅行者も目に付いたが、多くは関西人だったようである。



参照:経費節減お粗末さま
[ ワイン ] / 2008-03-29
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世界を支配する秩序感

2008-04-22 | アウトドーア・環境
いよいよ山場のようだ。夕食後無性に眠くなり、三日目は22時どころか20時過ぎにはベットに入った。日本時間で徹夜明けの時刻である。ちょうど身体はそのような疲れで、夏時間で外は暗くなりかけている。寝ずにはいられない。

そして目が覚めたのは、未明の四日目の二時半であった。流石に前日の二度寝の後のように、目覚めた時に一体何処で寝ているのか分からず戸惑うことはなくなるだろうが、朝になって上手く起きれるかどうか、さてどうなるだろう。

身体の状況としては、前日と比べても日本時間ならば本来すっきりと目が覚めてしまうのではなく、やはり身体がだく、眠い感じがある。そして、脈がどうしても高めのようである。軽く頭痛があり、腹具合も収まりがもう一つ良くない。反面、滞日中は、特に多かった旅行前に比べるまでも無く、普段以上にアルコール量も少なく健康的だったのは事実である。

こうなると煎茶の出番である。夜中でも薄めにいれて一服とする。つい先日までの日本時間との差異は、その現実での差は実感出来るが、例えばネットの動きなどに見られる副次的な時間、謂わばヴァーチァルな時差はなかなか把握し難い。同時にそこでの生活感も少しづつ身体から抜けて来ているような感じがする。

湘南で、嘗て隣町に住んでいて尚且つエッフェル塔の下にも住んでいたエンジニーアが、「あそこはゆっくり時間が流れる」とこちらの時間を称していた。今こうして数多くの電話をこなして、片付けをしていると思いの外はかどる。体が軽く疲れ難い。一つには慣れた生活に戻ったせいもあるが、机の高さやモニターなどが気持ち良い高さにおかれて、電話一つが掛け易い環境にあるからだ。これはなにも特定の事務用品や事務所によらず、ドイツの生活は全てが秩序立っていて合理的に出来ているからである。

部屋を見回しても、良い物を安く売っていた頃のIKEAのソファーが快適におかれて、その高さや硬さが良いばかりか、お茶室効果までを出している。それに引き換え近代日本でのバランスは電線が這う家並みや乗用車のみならず全てが滑稽なアンバランスで見苦しい。

それは、裕福層がEクラスメルセデスの3.5Lの黒塗りの車を走らせようともそのステータスに匹敵する美しいシルエットを提供しないことにも典型的にも表れる。折角のハイヒールを履いていても室内に上がれば台無しである。

合理的な生活は、時間を長く感じさせるのみならず、美学の基礎でもあるようだ。なるほど、プファルツの町に車を乗り入れるとそこを歩く農民達の姿はどうしようもなく野暮ったい。それでも、東京銀座よりは遥かに全てが洗練されていて美しい。迎えに来た東ドイツ人が図らずしも語った。「あまり大きな都市には住む気はしない」と。それが意味するものは、ライフスタイルというよりもやはり「あるべき世界観」であるように思われる。秩序が支配する人間的な世界なのである。
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