「はい」、「いいえ」の話題の続編である。どうしても同じような状況になると耳を硬くして、最後の語尾の否定を聞き取ろうと緊張する。
今度は間違いなく肯定で尋ねられた、そして肯定で答えた。その理解した様子をみていて安心して緊張が緩んだのか、次の質問の答えが大きくずれてしまったようだ。
「生協の組合員書はお持ちですか¬?」
来た来たと内心思った。
「ない!」と元気良く否定した。
理解されたようである。それでも、あとになっておかしな返答だったとやっと気がついた。
もちろん、この「無い」にはNOやNEINやNONがなんとなく含まれているのだが、日本語で「無い」と叫ぶのは出来の悪い学童の受け応えだと今思っている。帽子を被って、障害を持ったおじさんとは思われなかっただろうか?
そういえば、なんとなく日本人化していて余り目立たない西欧人らしき者たちが、カメラをぶら下げてサンフランシスコと書いたキャップを被っている私を独特の表情で注目している視線を感じた。
今後は地元の宣伝を書いた帽子などを身に着けて旅行したいと思った。日本には、自宅のワイン街道よりも多彩な人がたくさんいるように感じている。少なくともワイン街道の自宅付近ではフランス人がバケットを焼いているお店は無い。やはりドイツは田舎なのだろうか?
今度は間違いなく肯定で尋ねられた、そして肯定で答えた。その理解した様子をみていて安心して緊張が緩んだのか、次の質問の答えが大きくずれてしまったようだ。
「生協の組合員書はお持ちですか¬?」
来た来たと内心思った。
「ない!」と元気良く否定した。
理解されたようである。それでも、あとになっておかしな返答だったとやっと気がついた。
もちろん、この「無い」にはNOやNEINやNONがなんとなく含まれているのだが、日本語で「無い」と叫ぶのは出来の悪い学童の受け応えだと今思っている。帽子を被って、障害を持ったおじさんとは思われなかっただろうか?
そういえば、なんとなく日本人化していて余り目立たない西欧人らしき者たちが、カメラをぶら下げてサンフランシスコと書いたキャップを被っている私を独特の表情で注目している視線を感じた。
今後は地元の宣伝を書いた帽子などを身に着けて旅行したいと思った。日本には、自宅のワイン街道よりも多彩な人がたくさんいるように感じている。少なくともワイン街道の自宅付近ではフランス人がバケットを焼いているお店は無い。やはりドイツは田舎なのだろうか?