Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

エッフェルよりも通天閣

2008-04-06 | 文化一般
通天閣の足元まで行った。有料三十分の待ち時間で、上に登る時間はなかった。

本場エッフェル塔の足元で宿泊した経験はあるが、通天閣を間近に仰ぎ見たのは初めてである。

細部の仕事は比較にならないが、外見は若しかすると本物よりも美しいかもしれない。恐らく日本にあるこの手のものとしては独特の位置を占めるだろう。

そもそも美しいと言ったって、簡単に定義できるものではないが、ここで感じるのは、なんと言ってもあの界隈の雰囲気を象徴していてなおかつそれを作っている芸術性ではないか?

すると本物のエッフェル塔の現在にはそぐわない古きよき時代感覚や京都タワーや東京タワーのウルトラマンが似合う珍奇な近代性など、もしくは東ベルリンのTV塔などの異質感とは全く異なる文化的な土壌にこの通天閣は立っているように思われる。これほど美しいキッチュな塔は、近代でも珍しいのではないか。

それがパリのパロディーや安易な物まねになることなく、南の象徴となっているのは素晴らしい。

うなぎやから今や寂れた日本橋の電々タウンに向かおうとして、方向を失った。そして、他の人が若いペアーに道を訊いているのに答えているのを見て、続けて私も尋ねてみた。

「電々タウンはどちらでしたか?」

「電々タウンって、電気街ね。それならあの交差点を右に入っていけばええ」

「ああ、黒門市場のとこね」

「そうそう」

「有難う御座います」

「ほら、俺、結構詳しいやろう」と連れの女性に自慢する男の声を背中に聞いて、すかさず後ろ向きざまに突っ込んだ。

「ほんまに、おうとる?」

前回の大阪訪問時に道を聞くと、自転車に乗っている親仁がニコニコしながら反対方向を指差して親切に教えてくれたことを思い出した。

プファルツの言葉のピンポンもなかなか絶妙なものがあるが、大阪のそれの文化的な複雑性はそれに勝るとも劣らない。

あの通天閣の姿に、その独特の文化を見てとっても誤りではなかろう。
コメント (6)
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