Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

自由や世界観の体臭

2008-04-17 | 生活
「のぞみ」には生まれて初めて乗った。新幹線には当初から乗っている。その前には「こだま」と呼ばれる特急にも乗車した記憶がある。しかし「ツバメ」は知らない。

「のぞみ」の最新車両N700を選んで乗車した。やはりまだ新しい車両なので比較的満席に近いと言うことだった。元々鉄道ファンでもなんでもないが、最新の科学技術には興味があり、一度ケンブリッジに滞在中の日本国鉄のエンジニアーにも「新幹線の伸び悩みの元凶」についてのお話を伺ったことがあり、その世界競争に興味がある。

一本しかないパンダグラフのみならず、その走行音などに違いを感じさせる。実際、外から見ていて新幹線は、在来線の日本の車両を代表するかのようにその猛烈な加速度で行き過ぎた軽量化を感じさせるのである。

例えば在来線における駅での特急通過速度は湘南地区などでは大変危険な高速であり、駅での死傷事故が盛んに言われているが、客観的にみてあの混雑した狭いプラットホームでは、もし国鉄の管理者責任を問われても諸外国の通例としては司法係争となるのではないかと思えるほどだ。

あの通勤混雑における日本の過密化と秩序は見ものである。そして、より進む車両の軽量化と恐ろしい加速度に度肝を抜かれた。

N700もネット上で試乗記が散見されるように、乗り心地において特に500系との比較において賛否両論ある。今回も帰路は後者に乗ったのでそれを踏まえて纏めると、N700は大変進化はしているようだが、手放しで絶賛は出来ないと思われる。

何よりもその走行感はグリーン車に隣り合わせる車両でも、殆ど中型の旅客機のようにエアーポケットに入るような浮き上がり感が強く、人に言わせるとトヨタ車のようなふわふわ感がある。これは、そのトヨタ車のように外から見ていても顕著な上下動は、そのサスペンションの作り方や車体の剛性のみならず空力上の考え方のような気がするのだがどうだろう。

兎に角、N700の走行感は大変気持ちが悪く、― 500系で比較的顕著な ― 執拗に避けられている車両間の連結きしみ同様に否定的に感じられる点である。その点から、ドイツのICEは重々しく、良く言えば安定感、悪く言うと鈍重さがあるように思われる。

それにしても新幹線が実営業上世界一加速減速度が大きいといわれる阪神電鉄のような加速度が必要なのか、また関西人の歩く速度の異常な速さはその経済地盤沈下とは反比例して更に早くなっているようで「なんだろう」と思わせる。阪急電鉄のブレーキの鉄の焼けたような匂いも構造的な問題のようで完全な環境破壊にしか思えない。

日本人の特に女性の歩く姿勢は、随分と向上したように思われる一方、今でもその足元からは「ぽっくり」のような歩行音が聞かれて、巷で散見されるそのマスクのように面白い。流石に百年以上の靴の使用の歴史や生活習慣の変化が変えたものは大きいように思われるが、その体臭のようなものはなかなか変わらないのも事実であろう。

そうした体臭こそが、例えば顕著である就寝前の入浴習慣や食生活などの生活習慣から来る民族的なものであるとも言えるが、結構そうしたものは変化するものとなかなか変化しないものとがあり、ライフスタイルや生活環境と相俟って国民性を基礎から形成している。

だからこそ、民族性や国民性などと言われるものは、元来上から定義するものではなく下から形成されているものが多い。ただ、銀座で偶々居合わせた日本で最も大阪弁の流暢な外国人女性を尻目に、「自由への闘争」や「世界観の形成」をアジテートした際にも、その前者に反応するか、後者に反応するかの性質はおそらく国民性と言われるもので、戦後教育を更に徹底させて自由主義教育を施すことで前者への意識を高め、民主主義教育を徹底させることは後者への覚醒を促すことになる。

再度技術的な洗練の方向や市場の好みの傾向に目を向けるとき、明らかに後者の世界観に左右されるものが多く、俗に言われる「文化の相違」がその環境の捉え方の相違によって生じていることに違いない。
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