Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

吹き溜まりのような島国

2008-04-16 | 
外国人観光のメッカの感のある鎌倉の大仏を見学出来て幸いであった。その膝元の参道の道の狭さや車の交通量に驚いて、空気の悪さに閉口した。

観光客相手の店が並ぶ中、何の変哲も無い蕎麦屋に飛び込み、簡単に昼食を済ませ、いよいよ大仏参観料を支払う。

なるほど野外に鎮座している大仏は、「大魔神」の様で、背中には窓が開いていて「魔神ガーZ」の様な風采を見せている。奈良の大仏よりも顔が良く見えるのが面白い。

同時に膝元に集まる人々の様子を観察したりしていると、天気も良くなかなかの観光となった。そのような週末の印象を思いながら、帰りのひかり号に小田原から乗り込むと、流石にジャパンレールパスを使っている外国人観光客に車両が埋め尽くされていた。

大グループは、ポーランド語を喋っているが、大変おとなしい。どうも楊子を口に銜えて歩き回ったりする添乗員は日本語が堪能のようだ。日本人妻を持つ「一寸不良外人」なのだろうか。

別な日に飲み屋で飲み始めると、紙箱を持った頬を赤く染めた娘がなにかをやっている。どうも金を集めているらしい。一瞬顔を見て宗教団体の勧誘かと思ったが、その界隈では「マッチ箱の少女」と呼ばれているらしい。

本人に質した訳ではないが、その丸顔の愛らしい顔つきからして東欧系の少女なのだろう。オーソドックスでなくフランシスカーナなのだろうか?こうした事情は何とも不可解だが、托鉢をするブロンド娘はプロテスタントの国々では殆ど見かけない。

イタリアの交差点に集まる物乞いにしてもいかにもジプシー風の者が多く、フランスのそれも少し違う気がする。確か、駅前でも外国人が新聞を売っていたような気がするので、日本は中国や朝鮮半島からの平時は目立たない同化している外国人を含めると世界の吹き溜まりの感がある。

それも経済的に地盤沈下が激しい関西に見られるとなるとやはり日本の経済力と社会の特殊性がこうしたものを招いているようだ。

訳あって銀座でカウンターを叩き、アジ演説をやらかしたが、親中派としての中共批判や親朝鮮派としての朝鮮文化批判ともならない日本の食生活の実状への警句すらタブーとなっている東京が異常なのである。

ドイツにおけるポーランド人の労働者の姿を恥と思うポーランド人の友人もいたが、日本におけるそれらの姿を見ると英国におけるそれらの姿よりも抵抗があるのではなかろうか。またまたポーランド人たちへのお土産話がふえた。

そして、そうした吹き溜まりを拵えているのは他でもない日本社会なのである。経済程度は大きく異なるが、文化程度はそれらに近いので、こうしたコントラストが甚だしく浮かび上がるような気がする。
コメント (4)
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