雨が振ったり止んだりしている。三日周期ぐらいだろうか。典型的な秋雨のシーズンとなってしまった。ワイン街道では来週早々早生の葡萄の摘み取りが予定されているようだ。
朝霧が予報されていてもそうはならなかったしばしば雨模様の木曜日の時点では、月末までは順調に生育してほしいリースリングはまだ十分に健康であった。
名うての地所、ペッヒシュタイン・ウンゲホイヤー・キルヘンシュトック・イエーズイテンガルテンなど念入りに調べた。素人目には、少なくとも過去二年とも異なり、その出来上がりから六月からがとても暑く七月には泳ぎに行った2005年とも違うような気がする。その頃試飲した2004年産はグレープフルーツの味や苦味が頻繁に記述される。記録を見ると下のような記述が見つかった。
2004年07月20日 「もっと光を」
気温が30度に満たなくとも、入道雲が発達している。これも十分に温まっていない大気のせいである。雲の量が多いので、冬の氷河スキー場のような光量の印象である。「もっと光を」と芸術家ならば叫ぶであろう。ドイツワインファンの向きは、少々大味であろうとも猛暑の2003年産のものを安く買い込んでおくべきだろう。2004年産の葡萄の今後の成長は誰も予測出来ないが、この二つのヴィンテージの対照は甚だしく大きいだろう。自然の恩恵を受けるワインだからこそ、この差が確りと出るのである。
2004年08月13日 「晩夏の雷鳴」
昨夜の雨で冷えた。窓を開け半袖では就寝出来なくなった。長袖に着替え、窓を閉める。本日も通り雨の過ぎた空は青く、夏の終わりを告げるかのような雷が鳴り渡る。氷で冷やしたカクテルやシャンペンよりも、ウイスキーやワインが美味くなる。今晩はまだ陽の落ちきらないワイン畑を眺めながら、久しぶりのスコッチを片手に過ぎ行く夏を惜しみたい。
2004年09月30日 「菊日和の浮世床」
床屋の親父の息子は、オクトーバーフェストに出かけ天気が悪いのを嘆いていたという。ヴルストマルクトの花火師は、第一週がイタリア人で第二週が世界花火チャンピオンの日本人だったと聞き知る。前者は、色彩が素晴らしかったと伝えられているが残念ながら見ていない。第二週は、先週報告した通り工夫と創意に富んだ花火であった。すると意匠となった菊も文化的、植物学的に調べてみると面白いのだろうがそれはそうとして、薔薇の方は俄然西洋的である。表裏一体の薔薇と菊。薔薇は、ロザリオの祈りと言わずとも教会の薔薇窓にもみられるように、その文化的記号は中世へとさかのぼる。其れは、処女マリアを、ヴィーナスを、アフロディーテを越えて女神イシュタールを表して、バビロン・シュメール・エジプト・メソポタミア文明を源とするという。このイシュタールまたはイシスは、金星のそして豊穣の女神として、母胎をも象徴する。更に八弁の薔薇の図柄から八葉蓮華の胎蔵曼荼羅の仏教美術へと思いを馳せる。数の魔術も手伝ってアラブのモザイクの影響である薔薇窓といい、古代中近東の広範な文化的影響を認めないわけにはいかない。花火を見て、先日のパルシファル新演出でバイロイト祝祭劇場に映し出された、アジア大陸の大河のようにれんれんと輪廻転生して広がる薔薇の花弁を思い起こしたのも強ち的外れでもないな。などと考えながら、いつのまにか鋏の音も遠のいて、菊日和にうとうとしてしまうのだった。
その年、六月から温度は高かったようだが結局はあまり暑い夏とならなかった。
2008年度産はこのまま推移すれば、2004年度産よりも熟成していて尚且つ酸味も利いているように予想する。健康に摘み取りできれば結構期待出来る。
朝霧が予報されていてもそうはならなかったしばしば雨模様の木曜日の時点では、月末までは順調に生育してほしいリースリングはまだ十分に健康であった。
名うての地所、ペッヒシュタイン・ウンゲホイヤー・キルヘンシュトック・イエーズイテンガルテンなど念入りに調べた。素人目には、少なくとも過去二年とも異なり、その出来上がりから六月からがとても暑く七月には泳ぎに行った2005年とも違うような気がする。その頃試飲した2004年産はグレープフルーツの味や苦味が頻繁に記述される。記録を見ると下のような記述が見つかった。
2004年07月20日 「もっと光を」
気温が30度に満たなくとも、入道雲が発達している。これも十分に温まっていない大気のせいである。雲の量が多いので、冬の氷河スキー場のような光量の印象である。「もっと光を」と芸術家ならば叫ぶであろう。ドイツワインファンの向きは、少々大味であろうとも猛暑の2003年産のものを安く買い込んでおくべきだろう。2004年産の葡萄の今後の成長は誰も予測出来ないが、この二つのヴィンテージの対照は甚だしく大きいだろう。自然の恩恵を受けるワインだからこそ、この差が確りと出るのである。
2004年08月13日 「晩夏の雷鳴」
昨夜の雨で冷えた。窓を開け半袖では就寝出来なくなった。長袖に着替え、窓を閉める。本日も通り雨の過ぎた空は青く、夏の終わりを告げるかのような雷が鳴り渡る。氷で冷やしたカクテルやシャンペンよりも、ウイスキーやワインが美味くなる。今晩はまだ陽の落ちきらないワイン畑を眺めながら、久しぶりのスコッチを片手に過ぎ行く夏を惜しみたい。
2004年09月30日 「菊日和の浮世床」
床屋の親父の息子は、オクトーバーフェストに出かけ天気が悪いのを嘆いていたという。ヴルストマルクトの花火師は、第一週がイタリア人で第二週が世界花火チャンピオンの日本人だったと聞き知る。前者は、色彩が素晴らしかったと伝えられているが残念ながら見ていない。第二週は、先週報告した通り工夫と創意に富んだ花火であった。すると意匠となった菊も文化的、植物学的に調べてみると面白いのだろうがそれはそうとして、薔薇の方は俄然西洋的である。表裏一体の薔薇と菊。薔薇は、ロザリオの祈りと言わずとも教会の薔薇窓にもみられるように、その文化的記号は中世へとさかのぼる。其れは、処女マリアを、ヴィーナスを、アフロディーテを越えて女神イシュタールを表して、バビロン・シュメール・エジプト・メソポタミア文明を源とするという。このイシュタールまたはイシスは、金星のそして豊穣の女神として、母胎をも象徴する。更に八弁の薔薇の図柄から八葉蓮華の胎蔵曼荼羅の仏教美術へと思いを馳せる。数の魔術も手伝ってアラブのモザイクの影響である薔薇窓といい、古代中近東の広範な文化的影響を認めないわけにはいかない。花火を見て、先日のパルシファル新演出でバイロイト祝祭劇場に映し出された、アジア大陸の大河のようにれんれんと輪廻転生して広がる薔薇の花弁を思い起こしたのも強ち的外れでもないな。などと考えながら、いつのまにか鋏の音も遠のいて、菊日和にうとうとしてしまうのだった。
その年、六月から温度は高かったようだが結局はあまり暑い夏とならなかった。
2008年度産はこのまま推移すれば、2004年度産よりも熟成していて尚且つ酸味も利いているように予想する。健康に摘み取りできれば結構期待出来る。