Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

疑問を投げ掛ける認識

2008-09-24 | アウトドーア・環境
承前)文化を育む土壌とは?蜜蜂の巣を作る企画がラインラント・プファルツ州の援助で行なわれていて、ボイスの活動のように以前ここでも紹介した芸術家フリッツ・アイヒャーが参画している。

蜜蜂学の全国大会やその展示に先駆けて、自宅にてその一端が紹介された。今回は上海に近い地方出身の若い芸術家がパートナーとして共同制作を行なっている。

写真をみても分かるように、鳥箱のような一般的な巣箱の形をしていて、パターンが繰り返されている。そのシンメトリーを認識する力が蜂にはあると言うのである。そして黄色系の色がお好みだと。

その巣箱の形も下駄履き住宅から社会住宅のようなものまで様々で、居心地の良い日辺りと乾燥させる風を避ける事がもっとも空き部屋を減らす工夫であると言う。要するに、人が住んでも気持ち良いようなところに蜜蜂も好んで住むらしい。

ギリシャ考古学に引けをとらず蜂の生態研究もドイツにおいて歴史的に盛んで大きな成果を残している。誰もが知っている蜂の情報交換などはそのひとつである。しかし、そうした集団性から予想されるものに反して、同じ屋根の下に住みながらも、各々がシングルとして快適な生活を求めて居ると言うから面白い。

グローバル・アルバイトと題したこの芸術プロジェクトにおいて、どのような情報交換がなされるのか?

若い芸術家フー・タオカンの話は興味深かった。このプロジェクトのオブザーバーとしてベルリンから文化学者レジーナ・カズパース女史が参加しているのが、その彼女とはへーゲル流の見解とマルクス以前を理解できない中国文化概説を話したのだが、まさにそこへの認知こそにこの中国からの芸術家は参画していたように思える。

つまり、アイヒャー氏が言う「シンメトリーの認知自体があるからこそアシンメントリーが認知される」ように、こうした「環境」への認知こそがもっとも重要なので、蜂の家から我々が何かを得るのである。

それは、方言と標準語が文化のヒエラルキーによって始めて認知されるように、啓蒙思想を知らなければ反啓蒙意識を持つことも出来ないのである。自由民主主義があってこそ自由主義の限界が議論されて、民主主義の限界も始めて議論されることが可能となる。

これを機に11月に開かれる学術会議も、そうした示唆のみならず、その「考え方」こそが問われているのである。

文化学者は問う。「自然科学に世界観は必要か?寧ろ邪魔になるのでは無いか?」。世界観が無いところではそれを否定することも出来ないのである。要は認識なのである。

胡氏は言う。「中国人の考え方はあまり理論的に構築していく事が無い」とそして「感情的なものによって焦点が定まらず暈けて来るのだ」と。

「それは、ザッハリッヒカイトが欠けているからだ」、「そして、それがプロテスタンティズムから来ていると思うのだがね」と問い掛ける。

パターンの変化に「前進」を見てとるこの若い芸術家はその意味するところを改めて考えるだろう。

「日本の古代の美や蹲踞(つくばい)が美しい」と言うので「中国人には天地があるが、日本人には周りの環境しかないからね」と明確にしておいた。(続く)



参照:
禅の弓の道とは如何に? [ 歴史・時事 ] / 2008-04-26
ミニスカートを下から覗く [ 文化一般 ] / 2007-09-17
白い的へと距離を測る [ 文化一般 ] / 2007-09-16
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする