「たそがれ清兵衛」と言う映画をシネマに見に行った。映画は数年に一度ほどしか観ないので、珍しい事だが、予想以上につまらなかった。
山田洋次監督は何ゆえ「男はつらいよ」以外の映画を撮る必要があるのか分からない。松竹映画を儲けさせるためであろうか、それとも永年貢献のご褒美か。独第二放送で観た「愛に言葉は要らない」などはなかなか良い作品であったが、こうしたものをTV映画でなく金をかけて劇場映画で撮る必要があるのかどうか大変疑問である。
何よりもあまりに故意に平面的な月山かどこかの山脈の映し方が気になり、挙句の果ては「富士山の意匠」の松竹映画のそれまで安物にしか見えなくなったのには我ながら驚く。どうしても大画面で見る限りは期待してしまうのであるが、映像的に非常に安物臭くて仕方ないのである。
実は「男はつらいよ」の風景などに今は既にない日本の風景を楽しんでいたのだが、あれも精々小さなモニターで見ておけば十分だと言う気さえして来た。「寅さん」は映画館に見に行ったことがあるのだが、そのときの印象よりも今回は遠く遥かに酷かった。
それにしてもアカデミー賞外国語映画賞など一体どうした運動を繰り広げたのだろう。それともそれは戦後一貫して続いたアメリカ人の日本文化戦略の一部なのだろうか?
藤沢周平の原作に問題があるのか、それとも山田洋次の脚本に問題があるのか判らない。宣伝文句にあるように「現代の日本人に失われてしまった心」とはなんぞやと伺いたくなるのである。メーキングフィルムをYOUTUBEで見て知っているのだが、「婦女子への教育」や「自分で考える」、「生と死をかけて」など男女平等の思想と啓蒙主義や平和主義の表現に、こうした生の安物の形に思わず出来の悪い新劇の世界を思い出してしまった。
監督は、「登場人物と同じ視線で感じたり考えたりしてほしい」と言うが、それはどのような観衆に向けた言葉なのだろう?その日暮らしの虫けらのような農民やお小姓に、虐げられ規範の中に生きる女に、事勿れの下級武士の悲哀に、己を重ね合わせなければいけないのは一体何処の誰だ?各々の先祖に思い当たって、共感を得る事が出来るその想像力を賛美しようというのか。それとも、そこになんらかの現状認識があるのか。
知識も同志も無い労働者諸君に、職場でもお茶汲みを強いられる女子職員に、教養も素養もない安サラリーマンや小役人に、一寸したお節介な警句が浴びせかけられているのだろうか。
それでも、時代背景を移し換えた換骨奪胎を、家老直々の「上意討ち」の依頼とアフガニスタン派兵への志願などに重ね合わせるとき、初めてこの映画監督が商業大衆映画の中に暈かした思想的な心情が汲み取れる。結局、下級武士はその自らの「分」を弁え、平和惚けした本来の野生を取り戻すのだが、それはランボーとはならない。成功していた剣のタテのシーンに続き、任務を終えて血を流しながら帰宅する情景に、戦後五十年体制を文化的に支えて来た彼ら文化人のいよいよ自嘲的な表情が、それを迎えるあまりにもみすぼらしい女優の顔つきにありありと写されているかのようだ。
まさに、そこで書籍「憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言」の批評にあるような「こいつらはみんな敵国が攻めてきたら他国へ逃げ出せばいいと思っている。 例外なく全員一生涯遊んでいけるだけの外貨を持っている。ではそれ以外の普通の人たちはどうすればいいのか。」とする感想に近い印象を得るのではないだろうか。
こうした映画作品を世界に問う感覚自体が、戦前・戦中体制の責任を蔑ろにして、戦後体制の自己批判を未だに出来ない、もしくは己にしか分からない隠された形でしか ア リ バ イ の 如 き 自己批判しか繰り返さない似非文化人や似非ジャーナリズムを「粛正」しない日本社会の節操の無さを曝け出している。
そしてそこで見落とされがちなのは、家老の恫喝の情景と家庭内暴力という胡散臭い一種のパワーポリテックと不満の鬱積であって、監督自らの心情的境遇を吐露しているかのようですらある。
因みに「侍シリーズ」の一貫として、マンハイムの名画オリジナル劇場で上映されたこの映画は、その二回目上映の夜、当地独日協会の会長を含む約八人の観衆の無共感のもと、相も変らぬ長すぎる時間空間を再創造していた。
参照:
中村哲さんは (たるブログ)
咽喉元を突く鋭い短刀 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-24
市民を犠牲にやってみた [ BLOG研究 ] / 2008-09-01
新自由主義社会の道程 [ 雑感 ] / 2008-08-30
現況証拠をつき付ける [ マスメディア批評 ] / 2006-12-17
擦れ違う視線の笑い [ 文化一般 ] / 2008-08-05
禅の弓の道とは如何に? [ 歴史・時事 ] / 2008-04-26
カウチポテトの侍 [ 文化一般 ] / 2006-10-10
矮小化された神話の英霊 [ 文学・思想 ] / 2006-08-21
侍列車-十三日付紙面 [ ワールドカップ06 ] / 2006-06-16
映画監督アーノルド・ファンク [ 文化一般 ] / 2004-11-23
自己確立無き利己主義 [ 歴史・時事 ] / 2008-04-28
78歳の夏、グラスの一石 [ 歴史・時事 ] / 2006-08-15
高みから深淵を覗き込む [ 文学・思想 ] / 2006-03-13
国際法における共謀罪 [ 歴史・時事 ] / 2006-05-23
山田洋次監督は何ゆえ「男はつらいよ」以外の映画を撮る必要があるのか分からない。松竹映画を儲けさせるためであろうか、それとも永年貢献のご褒美か。独第二放送で観た「愛に言葉は要らない」などはなかなか良い作品であったが、こうしたものをTV映画でなく金をかけて劇場映画で撮る必要があるのかどうか大変疑問である。
何よりもあまりに故意に平面的な月山かどこかの山脈の映し方が気になり、挙句の果ては「富士山の意匠」の松竹映画のそれまで安物にしか見えなくなったのには我ながら驚く。どうしても大画面で見る限りは期待してしまうのであるが、映像的に非常に安物臭くて仕方ないのである。
実は「男はつらいよ」の風景などに今は既にない日本の風景を楽しんでいたのだが、あれも精々小さなモニターで見ておけば十分だと言う気さえして来た。「寅さん」は映画館に見に行ったことがあるのだが、そのときの印象よりも今回は遠く遥かに酷かった。
それにしてもアカデミー賞外国語映画賞など一体どうした運動を繰り広げたのだろう。それともそれは戦後一貫して続いたアメリカ人の日本文化戦略の一部なのだろうか?
藤沢周平の原作に問題があるのか、それとも山田洋次の脚本に問題があるのか判らない。宣伝文句にあるように「現代の日本人に失われてしまった心」とはなんぞやと伺いたくなるのである。メーキングフィルムをYOUTUBEで見て知っているのだが、「婦女子への教育」や「自分で考える」、「生と死をかけて」など男女平等の思想と啓蒙主義や平和主義の表現に、こうした生の安物の形に思わず出来の悪い新劇の世界を思い出してしまった。
監督は、「登場人物と同じ視線で感じたり考えたりしてほしい」と言うが、それはどのような観衆に向けた言葉なのだろう?その日暮らしの虫けらのような農民やお小姓に、虐げられ規範の中に生きる女に、事勿れの下級武士の悲哀に、己を重ね合わせなければいけないのは一体何処の誰だ?各々の先祖に思い当たって、共感を得る事が出来るその想像力を賛美しようというのか。それとも、そこになんらかの現状認識があるのか。
知識も同志も無い労働者諸君に、職場でもお茶汲みを強いられる女子職員に、教養も素養もない安サラリーマンや小役人に、一寸したお節介な警句が浴びせかけられているのだろうか。
それでも、時代背景を移し換えた換骨奪胎を、家老直々の「上意討ち」の依頼とアフガニスタン派兵への志願などに重ね合わせるとき、初めてこの映画監督が商業大衆映画の中に暈かした思想的な心情が汲み取れる。結局、下級武士はその自らの「分」を弁え、平和惚けした本来の野生を取り戻すのだが、それはランボーとはならない。成功していた剣のタテのシーンに続き、任務を終えて血を流しながら帰宅する情景に、戦後五十年体制を文化的に支えて来た彼ら文化人のいよいよ自嘲的な表情が、それを迎えるあまりにもみすぼらしい女優の顔つきにありありと写されているかのようだ。
まさに、そこで書籍「憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言」の批評にあるような「こいつらはみんな敵国が攻めてきたら他国へ逃げ出せばいいと思っている。 例外なく全員一生涯遊んでいけるだけの外貨を持っている。ではそれ以外の普通の人たちはどうすればいいのか。」とする感想に近い印象を得るのではないだろうか。
こうした映画作品を世界に問う感覚自体が、戦前・戦中体制の責任を蔑ろにして、戦後体制の自己批判を未だに出来ない、もしくは己にしか分からない隠された形でしか ア リ バ イ の 如 き 自己批判しか繰り返さない似非文化人や似非ジャーナリズムを「粛正」しない日本社会の節操の無さを曝け出している。
そしてそこで見落とされがちなのは、家老の恫喝の情景と家庭内暴力という胡散臭い一種のパワーポリテックと不満の鬱積であって、監督自らの心情的境遇を吐露しているかのようですらある。
因みに「侍シリーズ」の一貫として、マンハイムの名画オリジナル劇場で上映されたこの映画は、その二回目上映の夜、当地独日協会の会長を含む約八人の観衆の無共感のもと、相も変らぬ長すぎる時間空間を再創造していた。
参照:
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咽喉元を突く鋭い短刀 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-24
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