Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

三夜「神々の黄昏」二幕

2008-09-02 | 文化一般
楽劇「神々の黄昏」は、漸く四部作目の第二幕も四場へと差し掛かった。予定通り、本日13時から開かれた協会理事会は、前監督のヴォルフガンク・ヴァーグナーの意思を尊重して、作曲家の孫の二人の腹違いの娘を後継ぎに推挙した。

二十四票中二十二票を集めた圧倒的な採決であり、その直前に各々の陣営に20分の時間が与えられ、対抗馬のモルティエ博士の大演説が聞かれたようである。

表向きの前監督の退陣条件は否定されているが、ヴァーグナー家からの後継ぎに関して今回はその技量に問題がないとされて、同業者であるベルリン、ミュンヘンとヴィーンの監督らの専門的な助言を必要しなかった。カタリーナの選出を指揮者ティーレマンは歓迎した。

要するに先妻の娘であるエファー・パスキエー女史を加えることで何一つその能力に関しては疑いないものとしたのは大きな政治的な妥協策であったのは知られる通りである。

つまり、判断の基準は、既に2015年までの計画が定まっていることであり、その後の本格的な始動を考えるならば、対抗馬の二人では年齢的に無理だと言う至極当然で無難なものであったようだ。

そして最も興味あり見逃せない視点は、そもそもヴァーグナー祝祭自体が地方自治にとっては文化観光資源であって、ニケ・ヴァーグナーのようなあまりにも「知的で文化的な芸術活動よりも大衆が押しかけるもの」であるべきだとするものである。

それはカタリーナが誓約するように、芸術の灰汁も抜いて骨抜きにしてしまうことなのである。そもそもそうした芸術など必要なのだろうか?商業的娯楽に文化予算を支出するのは誤りではないか?

今更オペラ劇場に文化的なものを見出せるのかどうかの大きな懐疑が根底にあり、それは本日話題となったベルリンのウンターデンリンデン劇場にも共通している。今回の決定を受けて、バイロイトのヴァーグナー劇場は「ただの田舎の歌芝居小屋」に留まり、その文化保存物的な劇場建造物に連邦政府は今後とも適当に助成して行くことになる。

ドイツ連邦政府の文化助成のあり方や今後を、この機会に根本から見直していく必要が生じて、広範な議論がなされることが望ましい。

本日手元に届いた2009年度の申込書からは、政治力に満ちた顔つきのリヒャルト・ヴァーグナーの顔が消えて、監督の名前が抜けている。その代わりに、大きく印字されたURLと少しポップ調の写真が嵌め込まれて、ゴールドマンサックスとベネッケインテリアデザインという大きなロゴが印刷されている。



参照:
Schatten über Bayreuth, Patrick Bahners, FAZ vom 1.9.2008
迫る清金曜日の音楽 [ 文化一般 ] / 2008-08-27
咽喉元を突く鋭い短刀 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-24
コメント (2)
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