Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

列車から降り損なう憂鬱

2009-10-07 | 
日曜日に身体を酷使したお蔭で精神的には上々である。しかしその前暫らくは、秋の憂鬱のような感じがあった。大抵は死の月の呼ばれる11月になってからやってくる憂鬱なのだが、今年は比較的早めに現われた。

それは陽の強さとか直射日光に当たる時間とかに左右されていると実感しているのだが、今年の場合は実際には急には秋空とならなかった。日曜日の風が秋一番で、今日の雨が一月振りでの本格的な雨であった。雨量は一ミリに達さないほどであるが、久々にしっとりとした一日となった。

このように乾いた秋は珍しく、余計に心理的に秋を感じたのかもしれない。幾つかの悪夢は、明らかに11月向きでもあったが、その中に興味あるものがあった。

それは列車の旅風景で始まった。そして漸く帰路の駅に着く。自らの荷物を抱え込んで下りる時、人の忘れものに気がついた。それをもってプラットホームへ下りてから仲間に尋ねると、「我々のものではないよ」と教えられる。余計なお節介をして、人の物を持って来た過ちに気がついて、急いで車内に戻る。そして元あった場所にそれをおいて、急いで下車しようとする目前で、ドアが閉り始めたのである。もちろんこれはいけないと思って、足をこじ入れようとするが、すでに列車は動き始めていた。

こういう物語である。一体、なぜこうした焦った状況の夢を見たのかは判らないが、どうも憂鬱な心理と結びついているようである。そういえばもう一つおかしな夢を見た。

山小屋で皆で食事をしている。今まさにステーキにナイフを入れて、フォークで肉片を口に運ぼうとしたときである。向こうの方へ急いで来てくれと呼ばれる。何事かと、手に赤ワインのグラスを持って立ち上がって、余所の部屋で長い立ち話をするが、食事が気になって落ち着かない。さて暫らくしてテーブルへ戻ってくると、仲間は引き上げていた。そして至る所シナ人ばかりになっていて、がさがさと食事にむしゃぶりついている。確かめるまでもない、私のステーキは無くなっていて、給仕やその辺りのシナ人に尋ねても、そんなもの知るかと狡そうに賤しい笑いを浮かべる。そこで魘されて目が醒めた。

明日は晴れるような予報である。日曜日のように強風が吹いて、一挙に空気を乾かしてもらいたい。
コメント (2)
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