Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

小恥ずかしい音楽劇仕分け法

2010-06-06 | 
瀬戸内寂聴原作、三木稔作曲のオペラ「愛怨」ハイデルベルク再演の千秋楽を訪ねた。作曲家との座談のあとの作品紹介で、現支配人は「日本語原作で上演できて良かった。ドイツ語などでやればミュージカルになってしまう」と素直に述べたが本当にそれが全てだろうか?それならば日本語への作曲は、手馴れた技で素晴らしい日本語を紡ぎ出していたのか?

三木稔は、我々世代にとっては、二十一弦琴への野坂恵子との録音、またマリンバの安倍圭子との協調作業でなによりも有名であり、さらに日本音楽集団と称する和楽器の現在で言えば「女子十二楽坊」のような和楽器の世界への紹介で名を成した。特に和楽器の扱いは現在もその著書などがバイブルとなっていると言う。そのような活動の中で、旧東ドイツの青木建設が施行したライプチゥッヒの新ゲヴァントハウスでの杮落としでのクルト・マズーア指揮でのそれは華々しい活動として記憶に残る。

さて今回の作品自体が2006年に東京の第二国立劇場の委嘱、野村文化財団の公演で制作されて初演されたとあり、そのものこの作曲家の日本における位置付けに相応しく、その劇場の存在と持ちつ持たれずの関係にあるとしても良いだろう。ああした時代錯誤の大きな建造物が倒壊しないようにつっかえ棒が必要なのである。今回はハイデルベルクの建て直し中とかでサーカスのようなテントの中で上演されたので、またそれゆえに一寸した物珍しさの出し物となっていた。当日は外気温が三十度を越える猛暑であり日本の様に湿気はないが冷房設備の無いテントの中は日本並みの熱気があったかと言えば、やはりそれは無くそのタイトルが示すような感覚は得られなかったのがなによりもであった。

「花よ」で始まり、「乙女」で受け、嵐のポルタメントで締める第一景から些か冗長で文字通りの十分な効果を上げなかったフィナーレまでの音楽は陳腐でどっかで聞いたような新味の無いものばかりでったという意見はなるほどであるが、そこに作曲家からなにかを受け取ることが出来なかったかと言えば、そのように単純なものでも無い。

例えばフィナーレにおける死を、先々月に初演されたカール・オルフの処女作オペラのそれと比較すると明らかに、ヴァーグナ-からナチズムへと繋がるショーペンハウワー流のそれではなくて、もしくは更に一般化して今日もハマスの運搬船で行なわれているような「殉教」などを描くことでドマラテュルギーが完成するのだが、三木氏はそれをきっぱりと避ける事で当然ながら一種の座りの悪さが生じる。しかし、そうだからと言って開かれたままの形式も十分では無い。

音楽的にみれば、「桜」ならばプッチーニやドュビッシーに代表されるようなオペラの伝統と化しているそのメロディーを使えるのだが、敢えて悲劇のヒロインをSAKURA-KOと名付けることでその百年以上前の歴史をきっぱりと断絶する。それは、氏が座談会で語った「日本のある首相は固有の日本文化などと言うが、そんなものは嘘である。日本文化は輸入文化である」とする主張にも即している作曲家としての芸術的主張に他ならない。その姿勢は、バースタイン流のラテン音楽の要素を恥ずかしげなく取り入れてみたりと、まさに一時世の趨勢であった「世界音楽」を実践しているのだが、それがなんとも月並みと評価されるものとなっている。この辺りはまさに紙一重なのであるが、十分に好演をしていたディートガー・ホルム指揮の市劇場管弦楽団でも、それを突き破れる程の音楽的構造を元来有していない。

しかし、中間部の二幕に当たる合唱が主体となった望郷の歌や小鳥の囀りからはじめ幼少から、囲碁の風景、「大和」、「里」と歌われフルートの調べが再び子供へと移り、「愛怨」へと運ばれるこのシンメトリーをなす幕は秀逸であり、なんらかの形でこのオペラが再演されるとすれば「中国残留孤児」に向けた音楽芸術としてこのコムパクトに纏まった表現を忘れることは出来ない。まさにここに作曲家ご自身が語られるように「オペラ作曲に向いている作曲家と呼ばれている」と自負する面目がある。

同様に、嘗て琴やマリムバの名人芸を駆使することで大成功したように今回もチューリッヒに在住するピパの名人ジン・ヤン女史のソロ変奏とその音楽は、しばしば名曲として演奏される三木氏の琴やマリムバの曲に聞かれる自家薬籠中の芸術であり、流石である。ここではフルートから琵琶へと渡されて協奏曲としてオーケストラに支えられるが、なぜかここでは独自の音楽語法が上手く決まるのである。それ以上に、当夜臨席した原作者の瀬戸内女史の本質に迫るような彼女の人生哲学が密教を背景に音の織物となる。「御仏の」とか語られる時、その作曲家が語っていた仏教的な難しさは別として、「許さないでくださいと!」この多くの読者を魅了し続けて来た作家の肉声を聞くような思いがする ― 只そうした不条理感が理解されるかどうかはまた別の問題である。

そして、それだけの情動的な情景を形づくっていながら、経験豊富なオペラ作曲家としては、世界音楽の中で中国人がそれ風の音楽作りの中で日本語を話す奇異以上に、その日本語の美しさが無視されたデクラマチィオーンには残念を通り越した傷みを感じなければいけなかった ― それでも上述したようにテクスチャーの異なる合唱部分では上手く行くのであるが。作曲家のホームページにある様に、大手術を乗り越えての活動には敬服以上のものを感じつつ、まさに氏が語っていたようにそれは、ブーレーズの言葉を借りてなんと「プッチーニ以降にオペラは無い」とする非常に複雑な姿勢を示している背景そのものの芸術家の裏切りでさえある。

実際にハイデルベルクのサーカステントの下で、音楽劇を意識して繰り広げられたのは、ダルムシュタットのオルフ作曲「犠牲」初演が大変興味深い今年欧州で行なわれた音楽劇場上演であったのに対して、殆ど高校生の小恥ずかしい学芸会程度の上演であった。こうしたことに税金を使っているとすれば第二国立劇場と呼ばれるものがまさに仕分け作業の対象になるしかないのである。そこには、特別な芸術的主張など必要ないのである。



参照:
待ってました!日本一!成田屋! 2010-02-07 | 文化一般
批判精神無しに 2010-06-04 | BLOG研究
オペラの小恥ずかしさ  2005-12-09 | 音
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