Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

はなの憂鬱 - 情報操作

2011-03-21 | アウトドーア・環境
「危機を乗り越える光明が見えてきた」とかの首相談話が出ている。正気だろうか?NHKも出来る限り、放射能被害から他の方へと関心をずらそうと躍起になっているようだ。この機に及んでは、政府は監督官庁組織に騙されていて、報道規制が敷かれていることは火をみるよりも明らかだ。企業のトップでも役人でも先の事などは一切考えていない。自らの保身だけで、逸早く定年まで逃げ通すことしか考えていないのである。

昨年の春に合衆国で修士号を取った友人が車中で語ったことを思い出す。日本人の環境に対する覚醒が、現在のエスタブリッシュ層にとっては、共産主義などとは比較にならないほど手に追えない思潮であると。日本人がそうした世界感を持つとき、彼らは自らが粛正されることを知っているに違いない。だからどんな卑怯な方法を使ってもそれを護ろうとする。

ハイキング仲間のコメルツバンクの元女子行員のメールには、地方新聞を読んで自らの感想を綴っている。「日本人はその重大性が分かっていないよう」で、「地震と津波ばかりを取り上げて、見えない放射能と隠された被爆に蓋をしてなにごともなかったように装っていることはとても怖いこと」だと。なるほど、「危機の中でも少しの間だけでも幸福に過ごせることは良いのだろうけれど」と考えて、ライン平野に臨むフィリップスブルクの水蒸気塔を恨めしく感じている。

昨日はアーモンドの花見祭りが賑やかに行なわれた。気温は一桁に近くても陽射しが強く、戸外で楽しく過ごせた。日本の「人体実験」のお蔭で一機はモラトリウムで停止されたが、危険度は変らないことは今や周知の事実である。それでも二機目がまだ十年近く操業され続けることは多くの人には意外に知られていない事実である。日本のそれほどのマルチは流石に少ないが、複数の反応炉を持っていない原発殆どない。そして、皆心のどこかで原子力発電所を感じている。どこか今一つはしゃいだ様子は感じられなかった。花の憂鬱である。

何度も辛酸を舐めながら、何時までも懲りない日本人。作っては壊す日本人。日本人には不可逆な事象を想像出来る者は少ない。似非学者のみならず、どうしようもなく頭の悪い民族だ ― 今や日本人は「海外では過剰反応している」と殆ど集団催眠のような状態に陥っているようだ。同じような状況はもしかすると終戦前にもあったのかも知れない。とても興味深い。そもそも医療や公衆衛生の過剰や健康食品への傾倒の日本人が今おかれている環境などをみると、民族全体が既に冷静さを失っており思考停止状態となっているのだろう。ゾンビと呼んでも差し支えないであろう。


追記:本日は二度も大きな吹き出しがあったようだ。日に日に食物連鎖の範囲と濃度は拡がり、高くなる。プルトニウムまでが発生しているとなると半永久的な環境汚染となるだろう。明日以降はより一層関東圏の環境がとても厳しくなるに違いない。それが事実である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする