金曜日はザイルを使って、重い開閉のカラビナに硬いザイルを掛ける練習をした。所謂ロープをリードする練習である。ザイルの掛け方などを身につけて貰ったが、また同じことを繰り返すだろう。
それでも、四級から六級までの二本を除いて三本はオーバーハングを試したので自分にも良い練習になった。最後にトップロープで七級を試したが庇越えの最後はお預けとして横に逃げた。
冬シーズン二日目は二時間ぐらいであったが、先週以上に腕が疲れた。被っているところでザイルを掛ける姿勢が十分にクローズになっていなかったためと後で気がつく。もう少し腰が壁から離れないように絶えず注意しなければいけない。
腕が凝り凝りになったので、肉屋からパン屋に寄って三十分コースを走った。ウォーミングアップに歩く六分ぐらいが電池のせいか十分にカウント出来ていなかったようだが、その後は先日からの高めのピッチで最後まで走り抜けた。十分な手応えがあった。
九月に伝説的天才登山家ボナッティーが亡くなっていることを見落としていたか、忙し過ぎて忘れていた。81歳で癌に倒れた。我々の世代では飛びぬけたアイドルであって、最も影響力のあった登山家には違いないが、アルピニズムを回顧した天才だったのだろう。
ベルク・ハイルの挨拶に対してそれに関する様々な考察がミュンヘンのアルペン博物館の展示に絡んで協会の機関紙の特集となっている。それはハイルヒトラーのハイルであり、それ以前のアルピニズムの時代十九世紀から使われていたのだが、その語源はやはりドイツの国の運動の高まりやハンガリー二大帝国などのドイツ主義の高まりにおける言葉であったのだ。
つまり、ビーダーマイヤーなどに象徴される小市民的な生活の快適さからの決別と、死をも辞さない英雄的な行動への誘いであり、ニッチェの「ツァラストラはかく語りき」に影響される時代の気風であったのだ。
ボナッティの最後のインタヴューの一つがNZZ新聞に出ている。現役登山家ステックとのインタヴューであった。
個人的には、間接的にも全く知己のなかった人物であるが、その小さな棺の映像を見て感じるものがあった。その中にある亡骸の中に詰まっている計り知れないほどの「体験」に思いを寄せるからである。やはり、途轍もないアイドルだったに違いない。
参照:
«Das Abenteuer ist nie zu Ende»Walter Bonatti und Ueli Steck über das Bergsteigen als Suche nach sich selbst (NZZ-online)
Muore a 81 anni Walter Bonatti,
L'ultimo saluto a Walter Bonatti, signore delle cime,
Homenaje a Walter Bonatti - Reinhold Messner,
Reinhold Messner in: Montagna, pericolo ed "esposizione",
WALTER BONATTI, scalare se stessi - 1/3,
WALTER BONATTI, scalare se stessi - 2/3,
WALTER BONATTI, scalare se stessi - 3/3,
8476_Grand Capucin voie Bonatti Ghigo mur de 40 mètres en libre (YouTube)
人里遠く離れるとは 2009-08-22 | アウトドーア・環境
鉄の時代の金属職人親方 2009-08-10 | アウトドーア・環境
緑の谷に佇む山の気質 2007-09-07 | 文化一般
愛する夫、その名はワルテル・ボナッティ (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
それでも、四級から六級までの二本を除いて三本はオーバーハングを試したので自分にも良い練習になった。最後にトップロープで七級を試したが庇越えの最後はお預けとして横に逃げた。
冬シーズン二日目は二時間ぐらいであったが、先週以上に腕が疲れた。被っているところでザイルを掛ける姿勢が十分にクローズになっていなかったためと後で気がつく。もう少し腰が壁から離れないように絶えず注意しなければいけない。
腕が凝り凝りになったので、肉屋からパン屋に寄って三十分コースを走った。ウォーミングアップに歩く六分ぐらいが電池のせいか十分にカウント出来ていなかったようだが、その後は先日からの高めのピッチで最後まで走り抜けた。十分な手応えがあった。
九月に伝説的天才登山家ボナッティーが亡くなっていることを見落としていたか、忙し過ぎて忘れていた。81歳で癌に倒れた。我々の世代では飛びぬけたアイドルであって、最も影響力のあった登山家には違いないが、アルピニズムを回顧した天才だったのだろう。
ベルク・ハイルの挨拶に対してそれに関する様々な考察がミュンヘンのアルペン博物館の展示に絡んで協会の機関紙の特集となっている。それはハイルヒトラーのハイルであり、それ以前のアルピニズムの時代十九世紀から使われていたのだが、その語源はやはりドイツの国の運動の高まりやハンガリー二大帝国などのドイツ主義の高まりにおける言葉であったのだ。
つまり、ビーダーマイヤーなどに象徴される小市民的な生活の快適さからの決別と、死をも辞さない英雄的な行動への誘いであり、ニッチェの「ツァラストラはかく語りき」に影響される時代の気風であったのだ。
ボナッティの最後のインタヴューの一つがNZZ新聞に出ている。現役登山家ステックとのインタヴューであった。
個人的には、間接的にも全く知己のなかった人物であるが、その小さな棺の映像を見て感じるものがあった。その中にある亡骸の中に詰まっている計り知れないほどの「体験」に思いを寄せるからである。やはり、途轍もないアイドルだったに違いない。
参照:
«Das Abenteuer ist nie zu Ende»Walter Bonatti und Ueli Steck über das Bergsteigen als Suche nach sich selbst (NZZ-online)
Muore a 81 anni Walter Bonatti,
L'ultimo saluto a Walter Bonatti, signore delle cime,
Homenaje a Walter Bonatti - Reinhold Messner,
Reinhold Messner in: Montagna, pericolo ed "esposizione",
WALTER BONATTI, scalare se stessi - 1/3,
WALTER BONATTI, scalare se stessi - 2/3,
WALTER BONATTI, scalare se stessi - 3/3,
8476_Grand Capucin voie Bonatti Ghigo mur de 40 mètres en libre (YouTube)
人里遠く離れるとは 2009-08-22 | アウトドーア・環境
鉄の時代の金属職人親方 2009-08-10 | アウトドーア・環境
緑の谷に佇む山の気質 2007-09-07 | 文化一般
愛する夫、その名はワルテル・ボナッティ (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)