統合記者会見も東電の会見も最近は一部しか聞けていない。そもそも一方的な発表で十分な質問が出ない限り、必要な情報は全く得られない。
17時50分問題に関連する発表が非常冷却装置ICと建屋の豚の鼻からの蒸気の出方の確認などで話題となっていた。地震による破損の有無が取りざたされる問題である。冷却装置の弁を閉じたとか停止させたとかの経緯が質問されていた。
しかし、確証となるような僅か二十人ほどしかいなかった現場の者の証言の確認等が未だに出来ていないというような誤魔化し方をテプコは続けている。関連会社の職員や職人ならまだしも自社の原発の現場の二十人など直ぐに個別に毎日でも呼び出せる人員であり、明らかな虚偽の会見を続けている。
余談であるが、プルトニウムに関してはウラン鉱山にあるとされる微量のプルトニウム含量を意味する「天然中に存在する量同等の検出量」などとテプコは毎回繰り返しているが、正しくは核開発後に「大気中に拡散していたプルトニウムの検出量」に違いない。なぜあのような嘘の表現をマスメディアは見逃しておくのだろうか?プルトニウムはカリウムではないのである。やはり連中はグルなのである。とんでもない連中である。
とんでもないと言うと、ワインのそれもリースリングの吟味となると、如何に神がかりな作業をしているかが分る。夜中に目を覚まして、BLOG「ワイン大好き~ラブワインな日々~」に書き込もうとして、改めてそのとんでもない行為に覚醒してしまった。
要するに、テロワーの吟味などというのは、十の8乗なんていう時を経過した土壌を吟味しているのである。そこの植生や生物などさらに空気の組成などを考えると気が遠くなる。
そうしたテロワールをもっとも鮮烈に表すのがリースリング種であって、そこからのワインがブルゴーニュのシステムでテロワール反映させるようになってきたのはここ僅か十数年のことだと考えると、これまたとんでもない時期にその評価をしているのだと思うのである。
ブルゴーニュのピノノワールのテロワールの啓示はリースリングに次ぐと思われるが、所詮石灰質の土壌においてのそれであり、寧ろ醸造の手練手管がそのワインの素養でもあることを考えると、リースリングの土壌の多様性と可能な限りマニエールを加えないテロワールを提出する清潔な醸造法の成果はフランスものに比較できないほど明白なのである。
リースリングが選ばれたエリートのためのお告げである理由はそれだけではないのである。それを味わうことはあまりにも容易なのであるが、それを吟味する前に瓶での熟成度を予想して、分類するとなるととんでもない見識の高さが必要になる。特に進行中のリースリングの偉大な熟成となると醸造の玄人でもなかなか見当がつかないのである。
そこには、リースリングが美味いとか不味いとかでは全く評価できない飲み物であって、もし「美味いワイン」というものが存在するならば毎日飲んで何時まで飽きないかと詰問したい。「美味い」とは直ぐに飽きるということなのである。複雑なワインは決して最初から美味いとは思わないのだ。
かつて、ラスキンの誇大妄想な記述について皮膚感覚としての環境認知を書いた。しかし、その水不足ゆえに地下に伸びていく古木のリースリングが吸い上げるミネラルから世界を想像してしまうリースリングのミネラル研究、これほどとんでもない行いは人類の文化史上でもあまり例の無い行いではないだろうか?現在進行形なだけに、ともに歩んでいる者としてはとてつもない恐怖心のようなものを感じている。
参照:
硬い皮膚感覚の世界観 2007-11-15 | 文学・思想
17時50分問題に関連する発表が非常冷却装置ICと建屋の豚の鼻からの蒸気の出方の確認などで話題となっていた。地震による破損の有無が取りざたされる問題である。冷却装置の弁を閉じたとか停止させたとかの経緯が質問されていた。
しかし、確証となるような僅か二十人ほどしかいなかった現場の者の証言の確認等が未だに出来ていないというような誤魔化し方をテプコは続けている。関連会社の職員や職人ならまだしも自社の原発の現場の二十人など直ぐに個別に毎日でも呼び出せる人員であり、明らかな虚偽の会見を続けている。
余談であるが、プルトニウムに関してはウラン鉱山にあるとされる微量のプルトニウム含量を意味する「天然中に存在する量同等の検出量」などとテプコは毎回繰り返しているが、正しくは核開発後に「大気中に拡散していたプルトニウムの検出量」に違いない。なぜあのような嘘の表現をマスメディアは見逃しておくのだろうか?プルトニウムはカリウムではないのである。やはり連中はグルなのである。とんでもない連中である。
とんでもないと言うと、ワインのそれもリースリングの吟味となると、如何に神がかりな作業をしているかが分る。夜中に目を覚まして、BLOG「ワイン大好き~ラブワインな日々~」に書き込もうとして、改めてそのとんでもない行為に覚醒してしまった。
要するに、テロワーの吟味などというのは、十の8乗なんていう時を経過した土壌を吟味しているのである。そこの植生や生物などさらに空気の組成などを考えると気が遠くなる。
そうしたテロワールをもっとも鮮烈に表すのがリースリング種であって、そこからのワインがブルゴーニュのシステムでテロワール反映させるようになってきたのはここ僅か十数年のことだと考えると、これまたとんでもない時期にその評価をしているのだと思うのである。
ブルゴーニュのピノノワールのテロワールの啓示はリースリングに次ぐと思われるが、所詮石灰質の土壌においてのそれであり、寧ろ醸造の手練手管がそのワインの素養でもあることを考えると、リースリングの土壌の多様性と可能な限りマニエールを加えないテロワールを提出する清潔な醸造法の成果はフランスものに比較できないほど明白なのである。
リースリングが選ばれたエリートのためのお告げである理由はそれだけではないのである。それを味わうことはあまりにも容易なのであるが、それを吟味する前に瓶での熟成度を予想して、分類するとなるととんでもない見識の高さが必要になる。特に進行中のリースリングの偉大な熟成となると醸造の玄人でもなかなか見当がつかないのである。
そこには、リースリングが美味いとか不味いとかでは全く評価できない飲み物であって、もし「美味いワイン」というものが存在するならば毎日飲んで何時まで飽きないかと詰問したい。「美味い」とは直ぐに飽きるということなのである。複雑なワインは決して最初から美味いとは思わないのだ。
かつて、ラスキンの誇大妄想な記述について皮膚感覚としての環境認知を書いた。しかし、その水不足ゆえに地下に伸びていく古木のリースリングが吸い上げるミネラルから世界を想像してしまうリースリングのミネラル研究、これほどとんでもない行いは人類の文化史上でもあまり例の無い行いではないだろうか?現在進行形なだけに、ともに歩んでいる者としてはとてつもない恐怖心のようなものを感じている。
参照:
硬い皮膚感覚の世界観 2007-11-15 | 文学・思想