Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

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創造する首が無ければ

2012-01-31 | 文化一般
週末に訪ねた独日修交150周年記念の展示について忘れないうちに書き留める。二種類の展示があったのだが、双方ともそれなりに満足が出来るものであった。

メモを見ずに何を思い出すかといえば、昨晩おかしな夢を見た、獄門磔の写真だろうか?子供ではないのだが、話で聞いたり絵で見り、芝居で見るのとはやはり印象が違った。興味深かったのは、イエスキリストのようにきちっと腕を広げられて足を括って支えていることで、そうした視点で見ると明治の獄門磔にしては歴史的な雰囲気があった。

明治政府の法務大臣であった江藤新平が権力闘争に敗れて最終的に梟首になったなどと読んで、なんと当時は野蛮なことをしていたことかと思っていたが、写真を見て若干印象が変わった。

一言で言えば現在も中共や北朝鮮などで盛んに行われている公開処刑やナチスドイツがやったようなギロチン刑などとはまた違って、歴史文化的なそれを感じたといっても良いだろうか。言葉を変えれば、やはり首切り族の儀式やイスラムのそれなどとはまた違った古代性のようなものである。

そうした特殊性をそこに見出すと、どうしても現在の日本政府や政治家や官僚がやっているような政権闘争もやり口もなにも明治初期のそれと殆ど変わらないように思われる。聞屋と呼ばれる全くジャーナリズムとは甚だ無関係な連中が首に群がるような様子も同じであろう。

自由報道協会の授賞式があって、大賞日隅一雄賞を岩上安身が受賞した。授賞理由などは一切明かされず、受賞者本人も語るように「むちゃくちゃな賞」かもしれないが、報道という面では途轍もないことをやり遂げたことは偽りも無い事実であろう。報道を超えて、ネットの民主化とか自由化では様々な試みが行われているが、正しくコンテンツこそが問題があって、現在のインターネットの世界でWIKI以外にそれ以上の素晴らしい内容が浮かばないぐらいだ ― YOUTUBEとか言っても殆どは他人の著作権や隣接権を侵害した中で成立しているだけで、そこには創造などは殆ど見つからない。他人の権利を侵害しておいて、自由も権利もあったものではない。

偶々、3.11があったことからNHKがネット放送を止めてからは岩上のIWJは唯一の中継メディアであって、他の映像提供メディアの商業性とは一線を隠してジャーナリズムとして無料中継を断行した。合同会見が取りやめになってから、体制が変わってコンテントは一部有料になったが、そんなことよりも、昨年の6.11中継などで威力を発揮した市民がネットワークして中継する可能性を確立したことは画期的であり、今後とも大きな可能性を秘めたネットワークに他ならないのである。

なるほど授賞理由を挙げて、それを分析していくと優に一冊の専門書が掛けるほどの業績であり、むしろジャーナリズムを超えたネット文化として岩上安身のIWJの活動を評価すべきであろう。



参照:
自由報道協会賞大賞に「日隅一雄」の冠をいただいたことの私的な意義~現実と希望 (情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士)
IWJ6 2012/01/27 11:20 (IWJ)
日隅一雄のジャーナリズム 2012-01-16 | BLOG研究
日本社会の民主化に向けて 2011-10-11 | マスメディア批評
中継のネット配信の面白さ 2011-05-23 | マスメディア批評
コメント (4)
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