正直週四日も登ると疲れる。熱こそは出なかったが、先週と同じような疲れである。水曜日までには体調を整えたいので、走ることよりも体をゆっくりと休めることにした。アイスクライミングに同行した女性などは、胸が痛くなって脛を氷で打ちつけたというから、青あざものだったのだろう。それでも岩登りでは味わえない、室内ではありえない、爽快な想定外の感覚を味わってくれたようで、案内した価値があるというものである。なによりも自分自身が得ることが少なくなかった。
尖閣列島問題を中国サイドから見た記事が載っていた。端的に纏めると、もはやここでもかつて扱ったような海底の資源問題などではなくて、変わる政府の立場を明白にさせて国民を誘導する政治的な問題として発達してしまったということでしかない。中国のTVなどで臨戦態勢が叫ばれて過去の紛争を放送で流し続けて、国民の意識を引き締める習政府と、そこに直筆の親書を託して、何とか立場を保とうとする安倍政権についての分析がなされる。
しかし基本は実行支配していても、中国に海底資源開発で遅れを取った日本の面子を利用して、合衆国政府が安倍政権へと圧力をかけていると言うことでもある。一発触発の事態を避けるための外交努力ということ自体が、世界の外交の中での枠組みつくりにあたるので、そもそも石原前東京都知事が起こした運動そのものが、こうした世界外交政策の中での領土問題の明確化拡大化でしか無く、外交研究者にとってはとても興味ある事象に違いない。
その背景として日本の戦後体制への批判と修正主義的な戦前の帝国への歴史観の修正が画策されているのであるが、そもそもその目的は既成権益権を一手に握って権力者層として君臨するマスメディアなどに代表される支配者層が自らの其の正統性を誇示するための営みに過ぎない。要するに尖閣問題は、経済や戦略的な意味を超えて、日本の自尊心や権力掌握のシムボルとして目的化されたというのである。
同様に、眠れる獅子の苦汁を舐めた大国シナが、若い習政権になって初めて、海外へと覇権を積極的に拡充していく姿勢を明確にしているのは、まさに西洋に食い物にされたその植民地主義や帝国主義から受けた傷を回復させるための行為であって、もはや内政から積極的な外交へと踏み出して中華思想を世界へと拡充していくことに他ならない。自給自足体制へと引きこもることも可能な中国が孤立するかどうかは議論の一つでもあるが、新政権が打ち出した方向はこれとは異なる。
そうした背景事情は、オバマ政権が2011年に明白にした「太平洋へと帰れ」での、中国を取り巻く海洋への戦略的な関心と影響力の拡大への回答であるとして、日本政府がその大海原にタグボートのように漂流していてもなんら不思議ではないのである。
このような視点を確保できれば、どのように漂流していけばよいかが分かるのであるが、判断に必要な情報は決して日本のマスメディアなどでは流されることがなく、鳩山元総理の行動が突飛にしか映らないのもマスメディア操作の一つでしかない。なるほど、総理としての行動も十分に練れたものではなく、短期にしか権力を掌握できなかったが、手腕のある政治家であったなら、ああした独自の外交政策は日本のような中規模の国にとっては向いていたに違いない。お友達作戦も友愛もどちらも同じ程度に稚拙な幼稚園程度の思考形態であるから話にならないだけなのである。
参照:
Rückkehr der Vorkriegsgeister, Mark Siemons, FAZ vom 24.1.2013
そこには何でも埋まっている? 2010-09-18 | 歴史・時事
声高に発言して巧妙に攻撃する 2010-11-04 | マスメディア批評
尖閣列島問題を中国サイドから見た記事が載っていた。端的に纏めると、もはやここでもかつて扱ったような海底の資源問題などではなくて、変わる政府の立場を明白にさせて国民を誘導する政治的な問題として発達してしまったということでしかない。中国のTVなどで臨戦態勢が叫ばれて過去の紛争を放送で流し続けて、国民の意識を引き締める習政府と、そこに直筆の親書を託して、何とか立場を保とうとする安倍政権についての分析がなされる。
しかし基本は実行支配していても、中国に海底資源開発で遅れを取った日本の面子を利用して、合衆国政府が安倍政権へと圧力をかけていると言うことでもある。一発触発の事態を避けるための外交努力ということ自体が、世界の外交の中での枠組みつくりにあたるので、そもそも石原前東京都知事が起こした運動そのものが、こうした世界外交政策の中での領土問題の明確化拡大化でしか無く、外交研究者にとってはとても興味ある事象に違いない。
その背景として日本の戦後体制への批判と修正主義的な戦前の帝国への歴史観の修正が画策されているのであるが、そもそもその目的は既成権益権を一手に握って権力者層として君臨するマスメディアなどに代表される支配者層が自らの其の正統性を誇示するための営みに過ぎない。要するに尖閣問題は、経済や戦略的な意味を超えて、日本の自尊心や権力掌握のシムボルとして目的化されたというのである。
同様に、眠れる獅子の苦汁を舐めた大国シナが、若い習政権になって初めて、海外へと覇権を積極的に拡充していく姿勢を明確にしているのは、まさに西洋に食い物にされたその植民地主義や帝国主義から受けた傷を回復させるための行為であって、もはや内政から積極的な外交へと踏み出して中華思想を世界へと拡充していくことに他ならない。自給自足体制へと引きこもることも可能な中国が孤立するかどうかは議論の一つでもあるが、新政権が打ち出した方向はこれとは異なる。
そうした背景事情は、オバマ政権が2011年に明白にした「太平洋へと帰れ」での、中国を取り巻く海洋への戦略的な関心と影響力の拡大への回答であるとして、日本政府がその大海原にタグボートのように漂流していてもなんら不思議ではないのである。
このような視点を確保できれば、どのように漂流していけばよいかが分かるのであるが、判断に必要な情報は決して日本のマスメディアなどでは流されることがなく、鳩山元総理の行動が突飛にしか映らないのもマスメディア操作の一つでしかない。なるほど、総理としての行動も十分に練れたものではなく、短期にしか権力を掌握できなかったが、手腕のある政治家であったなら、ああした独自の外交政策は日本のような中規模の国にとっては向いていたに違いない。お友達作戦も友愛もどちらも同じ程度に稚拙な幼稚園程度の思考形態であるから話にならないだけなのである。
参照:
Rückkehr der Vorkriegsgeister, Mark Siemons, FAZ vom 24.1.2013
そこには何でも埋まっている? 2010-09-18 | 歴史・時事
声高に発言して巧妙に攻撃する 2010-11-04 | マスメディア批評