陽が昇ってから少し走った。パン屋が休みなので急坂を緑のベンチへの通過地点までである。1390歩、八分であった。走り出しは想定外に足が動かなかった。理由は分らないが疲れなのかもしれない。それでも高度順応できている筈なので頑張って走った。苦しかったが、足の調子の割りに悪くはなかったのではないだろうか。下りは、息を整えてからだが、戻ってくると2341分 十五分だったので、950歩、七分であった。あの急坂の割には登りが早かったということだろう。
シャモニでは、最終日に町に下りて買い物をして、アルペン博物館に立ち寄った。その規模や展示内容に関してはシャモニのアルピニズムにおける位置を考えると、他のポンテルジーナなどのそれと比較して失望する向きも多いかもしれない。それでもソシャ-ルを中心とする自然科学天文学などとの関連も展示されているのでそれほど悪くはない。そして現在の新しい博物館法の中での特別展示は悪くはなかった。
名前すら知らなかったガブリエリ・ルッぺという登山家の画家の作品のいくつかは目を引いた。全てが名画とはいかないが、なるほどサザビーでも扱われているのは当然であろう。晩年に写真機を購入していることから写真家の草分けでもあるようだ。1825年にモンペリエで新教徒として生まれて、各地で修行して、ルーブルで複製画を担当していたようである。登山の傍らスイスなどに滞在して精力的に山を描いているようだ。
その系譜や経歴などにはあまり関心がないが、花崗岩の様相を刺激的に描いたそれは殆どカスパー・フリードリッヒの氷山を思い起こさせる。しかしそれほどの強調ではなくて、そのあり方は目を引いた。あれだけ大きなモンブラン山群をどのように一枚の絵に詰め込むかという意味では成功しているのではないか。尖がった積み重なったその花崗岩に全てが凝縮されている構図と質感である。同じように氷河の割れ目の描き方もそこを行きかう人の視線に違いなく。奈落を思い起こさせるのである。
ネットで見ると、エッフェル塔に落ちる落雷の写真で有名なようだが、この作家のそれ以外の輪郭の暈けたような風景画はある意味現代のカメラでなんら処理無しに写したそれに似ていて、現実の太陽光を描き出しているといっても間違いないであろう。待ち合わせのために僅か10分足らずの訪問であったがその価値はあった。
参照:
名文引用選集の引用評 2006-04-02 | 文学・思想
永遠を生きるために 2005-05-16 | 音
改革に釣合う平板な色気 2008-01-18 | マスメディア批評
シャモニでは、最終日に町に下りて買い物をして、アルペン博物館に立ち寄った。その規模や展示内容に関してはシャモニのアルピニズムにおける位置を考えると、他のポンテルジーナなどのそれと比較して失望する向きも多いかもしれない。それでもソシャ-ルを中心とする自然科学天文学などとの関連も展示されているのでそれほど悪くはない。そして現在の新しい博物館法の中での特別展示は悪くはなかった。
名前すら知らなかったガブリエリ・ルッぺという登山家の画家の作品のいくつかは目を引いた。全てが名画とはいかないが、なるほどサザビーでも扱われているのは当然であろう。晩年に写真機を購入していることから写真家の草分けでもあるようだ。1825年にモンペリエで新教徒として生まれて、各地で修行して、ルーブルで複製画を担当していたようである。登山の傍らスイスなどに滞在して精力的に山を描いているようだ。
その系譜や経歴などにはあまり関心がないが、花崗岩の様相を刺激的に描いたそれは殆どカスパー・フリードリッヒの氷山を思い起こさせる。しかしそれほどの強調ではなくて、そのあり方は目を引いた。あれだけ大きなモンブラン山群をどのように一枚の絵に詰め込むかという意味では成功しているのではないか。尖がった積み重なったその花崗岩に全てが凝縮されている構図と質感である。同じように氷河の割れ目の描き方もそこを行きかう人の視線に違いなく。奈落を思い起こさせるのである。
ネットで見ると、エッフェル塔に落ちる落雷の写真で有名なようだが、この作家のそれ以外の輪郭の暈けたような風景画はある意味現代のカメラでなんら処理無しに写したそれに似ていて、現実の太陽光を描き出しているといっても間違いないであろう。待ち合わせのために僅か10分足らずの訪問であったがその価値はあった。
参照:
名文引用選集の引用評 2006-04-02 | 文学・思想
永遠を生きるために 2005-05-16 | 音
改革に釣合う平板な色気 2008-01-18 | マスメディア批評