Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

a knif and an apple

2016-11-23 | 
新聞の折り込みにあるカレンダーを捨てる前に発見した。一度だけではないかもしれないが、そろそろ要注意時期である。うっかりしていると捨ててしまうのが折り込のカレンダーである。

そのような訳でまだまだ今年の総括ではないが、シーズンなので今年学んだ最も有意な方法を書き留めておく。LINUXの掃除の仕方でもなんでもないリンゴの剥き方だ。林檎は嫌いではないがシーズンに美味しそうなものがあれば週に二三個食するぐらいである。数が伸びない理由は皮を剥くからだとは分かっているが、また皮の周りのビタミンを惜しんで丸齧りしてもそれほどおいしいと思うことは少ない。数ある品種も精々酸味と歯もろさ、瑞々しさなどの相違で、むしろ皮の色合いなどで選んでしまうことが多い。その程度の林檎なのであまり食し方に拘ったことはない。

それがこの九月にアルゴイに出かけた際にパートナーがいつも同じようにナイフでそれを食しているのに気が付いて、自分でもそれをやってみた。見た目よりもどちら付かずの感じはなくて、林檎の種類によっては絶品の味わいを体験可能な食し方と認知した。大前提としてワックス塗りをしていないことが重要かもしれない。

どちら付かずに感じたのは、先ずは半分に切って、私がするように更に半分、つまり四等分にしてから芯を切り取って皮を剥かずに、そのまま芯を刳り貫いてしまうのだ。そこで皮を剥かずに食するので、丸齧りの豪快さを感じることがない。そもそもそのパートナー自体がミュンヘンの工科大出身の荒っぽいタイプではないのでそのちまちました作業が似合うのだ。こちらの機嫌が悪ければ「はっきりせい」とカツを入れたくなるような食し方である。

そして実際に自宅でやってみると、皮の辺りがサクサクして分離しないでしっかりと割れる感じの林檎の場合のジューシーさと歯もろさは何とも比較しようがないほど良い。そして芯を抜いてあるので内側の最後まで歯もろさと熟した美味さがバランスよく楽しめるので、満足度が高いのである。但し反対に皮が割れないような林檎では中まで実を押しつぶしてしまう感じになるので、皮を剥いた方がいい。丸齧りには豪快さはあっても味という意味では芯までを食してもそれほど格別ではなく栄養士の自己満足のようになってしまうので、それならばこの方法が格別である。一度フジでも試してみようかと思うが、あの皮は分厚そうであまり合わないかもしれない。

左手の親指が痺れた。詰めた覚えなどがない。何か悪い病気かとも思った。しかしよく考えてみると、洗濯袋のファースナーが壊れたので指先に力を入れて直していたのだった。半日近く経ってから小さな障害が表れたのだった。



参照:
それでもまだ、私は、今日 2006-12-01 | 生活
人類の将来の進展のために 2012-12-02 | アウトドーア・環境
コメント
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