峠攻めタイ記録である。数秒は最後の走りで何とかなったが、登りが早かったので良しとしよう。前回は19分13秒だったのが、18分53秒で久しぶりの19分割りだった。一年ぶりの18分台で、更に朝の走りとしては初めての大台だった。天候が幸いしたか、裸で走れる摂氏10度と恵まれた。決して調子は良くなかったが走り出しから足元が確りしていて、体幹走りにも早く入れた。
心なしかテムポは遅かったと思うが、足取りが良く、前がしっかり見据えられ攻められたのである程度の記録にはなると思っていた。それでも20分割は何とかなっても19分の壁は厳しいと感じていた。そして下りも負荷をそのままにして駆け抜けた。但し最高速度も伸びず、波が結構あり、そして最後に速度がまた落ちた。落とさなければ30分台だった。暖かさが続けばまだ可能性がありそうだ。
ショスターコーヴィッチの「マクベス夫人」のもう一つのフィルムを観た。アムステルダムでコンセストヘボー交響楽団をヤンソンスが指揮したものである。半分しかネットでは公開されていなくて、後半は購入してくれというマーケンティングを採用している。映っているのはあまり見たくもない歌手のパンツ一丁の姿だけで、主人公のエーファ・マリア・ヴェストブロックも相変わらず魅力がない。演出もある程度の配慮はあってもオランダでの上演だろう予想通りの直截的な性表現になっている。正直このオペラの舞台をこうしてみていると、独裁者スターリンが怒って帰った気持ちが分かる。
肝心なのは交響楽団が演奏するオペラで、ヤンソンスの指揮であり、なるほど明晰に楽譜が鳴らされていて、座付き管弦楽団とは異なる音楽表現が聞かれる。しかしそこで鳴らされる音響は録音の問題か、十分な管弦楽の響きとしては広がらずに飽和した音としてしか聞き取れない。オリジナルの原盤ならば少しはましだろうか。同時に楽譜を見ているように音楽が聞き取れるかというと大変疑問が残る。
この指揮者は、ロストロポーヴィッチ指揮のようにおいしいところを逃すこともなく、貪欲なのだが、少なくとも私が見ている楽譜からは読み取れないアゴーギクなどをつけてきて、その根拠を知りたくなることが多い。言葉を変えるとテムポの加速減速がわざとらしい。なるほど同じように煽ると言われている指揮者ティーレマンなどとは俄然技量が違う訳だが、それ故にソヴィエトの音楽教育からも恩恵を得たと自負するこの指揮者が聴者を納得させるだけの音楽的な根拠が示せていないのはとても情けない。要するに指揮者としては超一流なのだが、音楽家としては評価出来ないということになる。
後半はネットから削除されているが、ここまで観れば十分だ。音楽的にこれを良しとする音楽ファンもいるのだろうが、前半の演出などを観ればこれを最後まで観ようと思う人はどれぐらいいるのだろう?今回のミュンヘンでの新制作の演出は分からないが、ハリー・クッパー演出は本質的で洗練されたものであって欲しい。なるほどその性描写は「ばらの騎士」のそれなどに比較しなくとも直截的であるのは間違いないのだが、その意味合いやその楽譜に向き合えばもう少し深掘りは可能である。安物のポルノオペラは御免である。
参照:
自己記録のゴールドラッシュ 2016-10-24 | アウトドーア・環境
新フォームで記録に挑戦 2015-12-17 | 生活
違和感が消えるときは 2016-11-20 | 雑感
心なしかテムポは遅かったと思うが、足取りが良く、前がしっかり見据えられ攻められたのである程度の記録にはなると思っていた。それでも20分割は何とかなっても19分の壁は厳しいと感じていた。そして下りも負荷をそのままにして駆け抜けた。但し最高速度も伸びず、波が結構あり、そして最後に速度がまた落ちた。落とさなければ30分台だった。暖かさが続けばまだ可能性がありそうだ。
ショスターコーヴィッチの「マクベス夫人」のもう一つのフィルムを観た。アムステルダムでコンセストヘボー交響楽団をヤンソンスが指揮したものである。半分しかネットでは公開されていなくて、後半は購入してくれというマーケンティングを採用している。映っているのはあまり見たくもない歌手のパンツ一丁の姿だけで、主人公のエーファ・マリア・ヴェストブロックも相変わらず魅力がない。演出もある程度の配慮はあってもオランダでの上演だろう予想通りの直截的な性表現になっている。正直このオペラの舞台をこうしてみていると、独裁者スターリンが怒って帰った気持ちが分かる。
肝心なのは交響楽団が演奏するオペラで、ヤンソンスの指揮であり、なるほど明晰に楽譜が鳴らされていて、座付き管弦楽団とは異なる音楽表現が聞かれる。しかしそこで鳴らされる音響は録音の問題か、十分な管弦楽の響きとしては広がらずに飽和した音としてしか聞き取れない。オリジナルの原盤ならば少しはましだろうか。同時に楽譜を見ているように音楽が聞き取れるかというと大変疑問が残る。
この指揮者は、ロストロポーヴィッチ指揮のようにおいしいところを逃すこともなく、貪欲なのだが、少なくとも私が見ている楽譜からは読み取れないアゴーギクなどをつけてきて、その根拠を知りたくなることが多い。言葉を変えるとテムポの加速減速がわざとらしい。なるほど同じように煽ると言われている指揮者ティーレマンなどとは俄然技量が違う訳だが、それ故にソヴィエトの音楽教育からも恩恵を得たと自負するこの指揮者が聴者を納得させるだけの音楽的な根拠が示せていないのはとても情けない。要するに指揮者としては超一流なのだが、音楽家としては評価出来ないということになる。
後半はネットから削除されているが、ここまで観れば十分だ。音楽的にこれを良しとする音楽ファンもいるのだろうが、前半の演出などを観ればこれを最後まで観ようと思う人はどれぐらいいるのだろう?今回のミュンヘンでの新制作の演出は分からないが、ハリー・クッパー演出は本質的で洗練されたものであって欲しい。なるほどその性描写は「ばらの騎士」のそれなどに比較しなくとも直截的であるのは間違いないのだが、その意味合いやその楽譜に向き合えばもう少し深掘りは可能である。安物のポルノオペラは御免である。
参照:
自己記録のゴールドラッシュ 2016-10-24 | アウトドーア・環境
新フォームで記録に挑戦 2015-12-17 | 生活
違和感が消えるときは 2016-11-20 | 雑感