Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

管弦楽への圧倒的熱狂

2018-06-08 | 文化一般
エルサレムからの放送を聞いた。これでフィラデルフィア管弦楽団の問題となった欧州イスラエルツアーが終わった。「不安の時代」ではテルアヴィヴでの演奏が最も優れていた。最終日は三千人収容と多目的ホールのためか楽器の繋がりが再び元のように聞こえた。音響の影響で、クラリネットを支える木管群がマスキングされてるかどうかで、会場の良し悪しは其れではっきりした。エルブフィルハーモニーからの放送が今一つな理由は不明だ。演奏自体も残響の程度によって合せているので、その差が良く分かった。会場に合わせた演奏に関しては放送でも話題になっていて、こうしたツアーの特徴としてホームグラウンドでないところに短時間で合わせていく経験が積み重ねられるようだ。演奏の精度も含めてツアー中のそれには限界があったとも思うが、生で聞くとやはり期待通りの演奏をしていて、アメリカを、世界を代表する管弦楽団であることは分かった。昔から放送に乗り難い楽音と乗り易いそれとかが議論されるが、フィラデルフィアサウンドは後者だと思い込んでいたが全く間違っていた。クリーヴランド管弦楽団の時も放送の音質と生のそれには当然ながら差があったが、寧ろそれは「生で確認する」作業に近かったが、こちらの方が「生でなければ分からない」要素が多かった。

その要素としてバスからの積み上げのピラミッド構造とその細やかさはHiFi機器で再生し難いもので、それを重々承知でいい加減な読譜とその音響を作り上げたのがフォンカラヤンの芸術であって、そこにバランスを取ったレガートラインを乗せて世界的なヒットとしたという事になる。奇しくも先日、話題のフランツ・シュミットの曲を録音していたのはカラヤンでなくジェームス・ラストだったというのは偶然ではないかもしれない。メディア産業が懲りずに目指すところはそうした大衆受けの良い音響の消費活動の促進である。今回の欧州イスラエル公演でのネゼサガン指揮のフィラデルフィア管弦楽は、イスラエルでは殆ど無い熱烈なスタンディングオヴェーションのみならず、ハムブルクでもヴィーンなどでも状況は変わらず熱狂的喝采を受けた。しかしジャーナリズムは文字に出来ていない。その背景はなにかと想像すると、やはり二十世紀後半の管弦楽を批判的に解析出来ていないという事にほかならないと思われる。「カラヤン風」という評があったぐらいだから、ネゼセガンの指揮はその譜読みや打拍が間違っていてもカラヤン世代のような誤魔化しは全くないのだが、そこが確信出来ないまま、より広範な聴衆を熱狂させるサウンドを駆使しているのを目の辺りにして当惑しているとしか言いようがない。

The Philadelphia Orchestra - Yannick in Jerusalem


今まで生で最も多く聞いている楽団がヴィーナーフィルハーモニカーで、その次が頻繁になりつつあるベルリナーであるが、フィラデルフィアにおいては音楽の核になっている中声部や第二ヴァイオリン陣の充実は下から上までの木管群の色彩感と相まって特筆すべきで、コンセルトヘボーの弦楽合奏やゲヴァントハウスのヴィオラ陣などとも異なる中核を作っている。嘗てのオーマンディー時代のオーディオ水準やムーティ時代の精度からするとその録音と生の音響の差は少なかったのかもしれないが、やはりネゼセガン指揮の精度ではそれだけでは済まなかった ― 大管弦楽での室内楽的な合奏を奨励している。

フィラデルフィアのプロテストの呟きなども覗いたが、やはりイデオロギーをそこに感じて、イスラエルをボイコットするだけでは解決しないものへの視点が欠ける気がした。抗議は大切だが、それを含めて何らかのメッセージとして、芸術分野においては特に音楽の情動性が聴衆に、社会にどのように作用していくか、そこが注目点である。ツアーが終了しても本来は様々な予定があったようだが、そそくさと帰宅準備のようで、面白かったのはコンサートマスターのキムがお土産などと語っていることだろうか。「フィラデルフィアは二度とイスラエルには演奏旅行しないだろう」という一方、イスラエルフィルハーモニカーを招待することなど、如何にイスラエルとの関係は複雑で、その管弦楽を何も知らぬ顔で招聘して歓迎する日本人のバカさ加減が浮かび上がる ― 演奏会場の前での抗議すら聞いたことが無い。放送においてもガザとの関係だけでなく今回政治利用されようとしたトラムプの大使館移動問題などが言及されていて、ここでまたどこかの国の首相が嬉しそうにイスラエルを訪問するバカ顔が思い浮かぶ。

個人的には、本拠地ではシューマンで魅力的なインタヴューをしていたユミ・カンデールが乗っていなかったことが残念だった ― 彼女はヴィーンから合流したようだ。そしてなによりもテルアヴィヴからのバーンスタイン交響曲の録音放送の出来だった。永久保存版にしても良いもので、久しぶりにバーンスタインの真価を堪能した。これで漸く月末のための「パルシファル」のフラッシュアップへと進める ― そもそもその音楽が細かく入っている訳でもなんでもないのだが。



参照:
不安の時代の闘争 2018-06-07 | マスメディア批評
エルブのバーンスタイン 2018-06-01 | マスメディア批評
不安の時代に最高の言語 2018-06-06 | 音
「抗議するなら今しろ!」 2018-06-03 | マスメディア批評
尊重したい双方向情報 2018-05-29 | 文化一般
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