またまたコンサートのティケットを購入した。本当に行くのだろうか、大抵は日が重なってくると出掛ける時に後悔するのである。35ユーロ程度ものなので本当に行きたくなかったら捨てればよい。交通費の方が遥かに高い。批判の対象となっていた演奏をしている指揮者ハイティンクの演奏会だ。高齢で今のうちにと思う一人だ。昨年はより高齢でより元気なブロムシュテット指揮を二回聴いたので残るはこの人しかいない。キャリア的には同国人という事でアムステルダムのコンセルトヘボーの監督、そしてラトルらに大きな影響を与えたグライボーンでの監督などが主なところで、ブロムシュテットよりは少しは上なのかもしれない。引退したミヒャエル・ギーレンなどと皆同じ世代で、こうして挙げるとどこか共通項がある。
今月もアムステルダムで演奏会があったので検討したのだがあまりにも遠い割に見返りが少ないと思って断念していた。案の定二日目の拍手の時に倒れた。プログラムはマーラーの交響曲九番であった。奇しくも同じ週末にブロムシュテットが初めての九番を振っていた。こちらも既にその指揮を分かっているので断念した。ハイティンクの場合は、管弦楽がコンセルトヘボーだったことでマーラー全集を録音していて主要レパートリーとなっているが、ブルックナーの方が多く振っているのではないだろうか。両者ともマーラーを振るには少し役不足な感じがあって、今日求められるマーラーの音楽表現は期待できない。その点、ブルックナーでは、前世紀後半の特徴的な分厚い管弦楽の響きをテムポを守って振っていればそれで構わないだろう。ハイティンクの最近の評価はその流麗な響きなどが賞賛されているので、素晴らしい会場で聴ければいい。要するに欧州サウンド若しくは英スピーカーのタンノイサウンド派指揮者となるのだろうか。その為には音楽の細部も犠牲にする嫌いがあるのだが、少なくともブロムシュテットはそれなりに中々の配慮をしていて、ハイティンク指揮も生でこそ気が付くことがあるだろうか?コンセルトヘボーのような会場はなかなかないだろうが、音響もなによりもの関心事だ。
先日亡くなったツグッテンベルク追悼記事を改めて読んだ。この木曜日にラインガウでヴェルディのレクイエムを振る予定だった。七十二歳でまだ若かった。とても興味深かったのはその指揮ぶりのようで、それを観察すると普通の指揮者とは違っていたらしい。芸術至上の人だったようで、芸術の世界と世界の保護される環境との間で生きていた人のようだ。勿論財産がある人であるから特に驚くにはあたらない。その歴史的演奏を目していながら、その理想はアーノンクールなどではなくカール・リヒターのそれだったとして、実際にバッハの受難曲の演奏を礼拝に組み入れていたらしい。なるほどリヒターの真摯さ、そのもの故人の忘我の指揮ぶりとされるものと重なる。
ミュンヘンの「三部作」一日目の新たな券が放出されていた。被りつきで並び三つだった。これは先に出ていたら手を出していた可能性が高い。購入した二番目のクラスの舞台袖より手に入り易いかどうかは分からないが、もしこれを買っていたら投げる花輪を準備しなければならなかった。オペラの被りつきは歌手がお目当ての人には良いのだろうが、私たちのように管弦楽主体の人は舞台袖の方が興味深い。それでも価格が同じだったらこちらの方を選ぶだろう。正直袖は少し割高の印象を持っているからだが、試してみなければ皆目分からない。
秋の「マイスタージンガー」の券が届いた。これはバルコンなのでコンサートの時に後ろから観察していたので、こちらは間違いないと思う。まあ、「マイスタージンガー」ならば被りつきでもよかったのだが、「三部作」となるとバカ声も近くで聞かなければならないので不愉快だった。兎に角、ここ一二年の内に一通り試してみたいと思う。その後はその経験を参考に必要ならば都合のよい席を選択するだけだ。
参照:
再びマイスタージンガー 2018-06-22 | 生活
準備万端整え、いざ 2018-05-26 | 雑感
今月もアムステルダムで演奏会があったので検討したのだがあまりにも遠い割に見返りが少ないと思って断念していた。案の定二日目の拍手の時に倒れた。プログラムはマーラーの交響曲九番であった。奇しくも同じ週末にブロムシュテットが初めての九番を振っていた。こちらも既にその指揮を分かっているので断念した。ハイティンクの場合は、管弦楽がコンセルトヘボーだったことでマーラー全集を録音していて主要レパートリーとなっているが、ブルックナーの方が多く振っているのではないだろうか。両者ともマーラーを振るには少し役不足な感じがあって、今日求められるマーラーの音楽表現は期待できない。その点、ブルックナーでは、前世紀後半の特徴的な分厚い管弦楽の響きをテムポを守って振っていればそれで構わないだろう。ハイティンクの最近の評価はその流麗な響きなどが賞賛されているので、素晴らしい会場で聴ければいい。要するに欧州サウンド若しくは英スピーカーのタンノイサウンド派指揮者となるのだろうか。その為には音楽の細部も犠牲にする嫌いがあるのだが、少なくともブロムシュテットはそれなりに中々の配慮をしていて、ハイティンク指揮も生でこそ気が付くことがあるだろうか?コンセルトヘボーのような会場はなかなかないだろうが、音響もなによりもの関心事だ。
先日亡くなったツグッテンベルク追悼記事を改めて読んだ。この木曜日にラインガウでヴェルディのレクイエムを振る予定だった。七十二歳でまだ若かった。とても興味深かったのはその指揮ぶりのようで、それを観察すると普通の指揮者とは違っていたらしい。芸術至上の人だったようで、芸術の世界と世界の保護される環境との間で生きていた人のようだ。勿論財産がある人であるから特に驚くにはあたらない。その歴史的演奏を目していながら、その理想はアーノンクールなどではなくカール・リヒターのそれだったとして、実際にバッハの受難曲の演奏を礼拝に組み入れていたらしい。なるほどリヒターの真摯さ、そのもの故人の忘我の指揮ぶりとされるものと重なる。
ミュンヘンの「三部作」一日目の新たな券が放出されていた。被りつきで並び三つだった。これは先に出ていたら手を出していた可能性が高い。購入した二番目のクラスの舞台袖より手に入り易いかどうかは分からないが、もしこれを買っていたら投げる花輪を準備しなければならなかった。オペラの被りつきは歌手がお目当ての人には良いのだろうが、私たちのように管弦楽主体の人は舞台袖の方が興味深い。それでも価格が同じだったらこちらの方を選ぶだろう。正直袖は少し割高の印象を持っているからだが、試してみなければ皆目分からない。
秋の「マイスタージンガー」の券が届いた。これはバルコンなのでコンサートの時に後ろから観察していたので、こちらは間違いないと思う。まあ、「マイスタージンガー」ならば被りつきでもよかったのだが、「三部作」となるとバカ声も近くで聞かなければならないので不愉快だった。兎に角、ここ一二年の内に一通り試してみたいと思う。その後はその経験を参考に必要ならば都合のよい席を選択するだけだ。
参照:
再びマイスタージンガー 2018-06-22 | 生活
準備万端整え、いざ 2018-05-26 | 雑感