Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

造詣を深める為の体験

2022-06-04 | 文化一般
オペラ「ルサルカ」のお勉強をしている。DLしてあったマドリッドの歌劇場での2020年新制作上演中継録画を観た。話題になっていた公演で、指揮は英国人のボルトンが受け持ち、主役の人魚姫はアスミク・グリゴーリアンだ。

人魚姫がバレーで足を痛めていて、尻尾ならず杖を突いているのがこの演出の味噌だった。レアルマドリッドの演出は、嘗てはモルティエ―博士が支配人をやっていて指揮者のティテュス・エンゲルも2014年にチャールズ・ウォールネン「ブロークバックマウンテン」で大劇場デビューを飾っているのとは裏腹に、こんな保守的な劇場かとも思わせる。

なるほど下着姿になるグレゴーリアンの肢体は、二児の母親とは思えない立ち振る舞いで、それは所作や顔つきだけでは絶対に出ない効果だとは思った。しかし、なんといってもその歌唱はずば抜けていて、チャイコフスキーなどのロシア語なんかよりも素直な感じがするのはただそれらの言語が分からないからだけだろうか。アクセントがないとされるようなチェコ語のイントネーションがそれらしく聴こえる。一方共演のマッティラなどは楽譜通り以上の歌唱になっておらず違和感がある。

ドヴォルジャークの独自のリズム感も歌唱には重要だろうが、何よりもその和声のドラマラテチュルギー的な移り変わりが見事だと思った。その点で指揮のボルトンは素晴らしい指揮をしていると思うのだが、そこ迄貪欲さもなく、若干の鈍さは感じる。

土曜日初日のオクサーナ・リニヴは、その管弦楽の秀逸さに触れていて、空間に光が射し込む様なところから、次には別の色彩が満ちて、鳥肌が立つと話している。本当にそのような指揮が出来るのかどうかは分からないが、少なくともボルトン指揮で声への対応が受け身なのに対して、より積極的に歌を引き出していく指揮に拘りは見せると期待している。ヴァ―クナーに大きな感化を受けた作曲家の腕を聴かせて欲しいのである。その意味からは明らかにチャイコフスキーとは大違いであり、またヴァ―クナーのような鈍重な進行にはなっていない。

オペラ作品の体験は、知っている筈の作曲家でもその音楽のつけ方で急に身近な存在になることが殆どである。モーツァルトの最高傑作であるオペラ類を知らなければ、これまた引けを取らないピアノ協奏曲の真意も分らないままでいる可能性が大きい。

今回はチェコの作曲家でその交響曲などは名曲となっているドヴォルザークの作品を初めてじっくり聴くことになる。それによって、引いてはチェコの作曲家への更に東欧の作品に関しての造詣が、復活祭のチャイコフスキー体験を更に拡大する形で広がることになれば願ってもないことである。その為にも質の高い本格的な上演が必要なのである。



参照:
そこそこ話題になる話 2022-05-07 | 生活
露文化排除のウクライナ 2022-05-06 | マスメディア批評
コメント
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