Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

オペラのメソード

2022-06-21 | 
承前)三人のスター歌手を描いている。その導入に嘗ての名歌手カラ・ガヴァッツィを扱いそのインタヴューを最後に持って来ている。そこで彼女は語っている「舞台の上で自ら全身全霊でなければ聴衆は泣かない」と、それが音楽に奉仕するということと話す。聴衆を泣かせるためには歌手が泣かないと駄目、でもしゃくっては駄目で、言葉で泣くのだと語っていて、同じことを「声が出なくなるから要注意」とカラヤンの「バラの騎士」を観ながらにアンナ・ブロハスカが語っていた。

この一連の行いはスタニスラフスキーシステムと呼ばれる演劇メソードにも準拠している。芸術音楽表現であるからそのフォームを重視していけば表現されるという考え方の対極にある。正直オペラにおける音楽表現と舞台演出表現との関連の中で、歌謡表現が至らないのは作曲家が悪いと思っていた。しかし、それが部分否定されるのも先に言及した「スノークイーン」でのハニンガンによるイントネーションの修正でも証明されていた。

そうした演劇の処方がオペラ舞台で活かされているのは、同じハニンガムが歌ったパリでの「ペレアスとメリザンド」の演出家ヴァリスキーの稽古指導風景にも捉えられていた。または「修道女アンジェリカ」の稽古時に演出家でヴィーンのフォルクスオパーの支配人になるロッテデベーアの仕事ぶりが当時の新聞にも書かれていた。コンヴィチニ―の弟子乍新機軸による演出を良しとしないとあり、ここでも指揮者と歌手の間での裁定が大きな意味を占めたことが分かる映像となっている。そもそもハニンガムまでの読み込み歌い込みをすれば、少々の演出アイデアでは到底その探求には追っつかないに違いない。ハニンガムは、ミュンヘンのペトレンコ体制初期に「ディソルダーテン」で大成功をした。

さて三人目のグリゴーリアンは、数週間後にザルツブルク音楽祭で「三部作」を通して歌うことになっていて、既に稽古が始まっているだろうか。そこでは通常とは異なり「ジャンニスキッキ」から初めて「修道女アンジェリカ」で終える。ロイの演出以前にその声の使い方を考えたが、この映画を観てまた別の視野が生まれた。

それ以前に、こちらは深い痛みを味わった復活祭「スペードの女王」キャンセルの意味合いを改めて考えることにもなった。なるほどそのあと5月のストックホルムに続くフランクフルトでの「フェドーラ」再演もキャンセルとなった。しかし復活祭の方は新制作なので新たに役作りをするので心理的に出来ないと断りを入れたと聞こえた。その場合は、この映画のタイトル通り「炎を燃やす」となると、それは大変な投身となることが示されている。

以前に制作されていた「オペラ、仮借の無い世界」で描かれていたように、ここでもその舞台恐怖心が語られている。「サロメ」で一躍世界に名前が響き渡ったあとの最初の新制作「イオランタ」をフランクフルトで初日を為した節、初めてメタブロック錠無しに成し遂げたというのであった。(続く
Oper - Das knallharte Geschäft




参照:
どっちでもよかったんだ~ 2022-03-10 | 女
プロ中のプロの呟き 2021-08-23 | 女
コメント
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