夜中は窓を開けて就寝した。寝室だけ閉めておいた。それでも明け方までトイレに立つ用もなかったので、それ程冷えなかったのか、それとも汗を十分に掻いていたかだろう。ヴルストサラーダにしたのヴァイツェンで喉を潤した。リースリングのいいのも一口飲んだがやはり甘さを感じたので魚貝の方が合うだろう。カレーを利かした沢蟹とヌードルぐらいに合わせてみるか。
二年も経たないうちに歴史化することもあるようだ。2020年11月のベルリンでの演奏会だった。そして自分自身の記憶にも誤りがあった。中継されたのロックダウン最後の演奏会で、定期演奏会ではないアンコールとしてジョンケージ作曲4分33秒が演奏された。その映像が公開されてが世界的にとても話題になった。特に音楽舞台関係者への共感はとても大きかったようだ。
コロナ禍最初の夏を越えて、そして何とか秋頃からは徐々に活動を始めようとしていた時に、次の大波がやってきていたのであった。ペトレンコは、音楽家が聴衆の前で演奏してこその音楽表現であるということをもう一度この曲で「聴衆がいなくなった、演奏家もいなくなる、誰も音を出す人がいなくなる。」とするメッセージを一つも音が鳴らされないこの曲で示した。世界中で大きな反響があった。
しかしこの間に記憶も薄れ、この事象に正しくコメントできる人が少なくなってくる。その背後事情も定かでなくなってくる。如何に記録が、ジャーナリズムが大切かが分かる。アーカイヴとして、第一時資料が残っているだけではフェークニュースを駆逐不可能なことが分かる。
上の演奏会10月31日の数日中に次の演奏会が開かれる予定だった。フランクフルトでの合衆国お披露目ツアーへの壮行音楽会が予定されていた。プログラムは、ヴェーベルン作「パッサカリア」に続いてメンデルスゾーン作交響曲一番、ブラームス作交響曲四番がオリジナルで、コロナ配置の制約からシェーンベルク作「浄夜」に続いてブラームスの初演版に替えられて演奏される筈だった。
結局2020年2月のラフマニノフ作交響的舞曲の最後の銅鑼の音を最後にペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの生演奏を再び聴いたのは2021年11月の同じフランクフルトのアルテオパーでの「オベロン序曲、ヒンデミートのメタモルフォーゼン、シューベルトの大ハ長調」あった。その時は、それを壮行演奏会として東京を含む極東演奏会に出かける予定だったのである。
参照:
ロックダウン前最後の演奏 2020-11-01 | 音
響くやり場のない怒り 2020-11-05 | 音
二年も経たないうちに歴史化することもあるようだ。2020年11月のベルリンでの演奏会だった。そして自分自身の記憶にも誤りがあった。中継されたのロックダウン最後の演奏会で、定期演奏会ではないアンコールとしてジョンケージ作曲4分33秒が演奏された。その映像が公開されてが世界的にとても話題になった。特に音楽舞台関係者への共感はとても大きかったようだ。
コロナ禍最初の夏を越えて、そして何とか秋頃からは徐々に活動を始めようとしていた時に、次の大波がやってきていたのであった。ペトレンコは、音楽家が聴衆の前で演奏してこその音楽表現であるということをもう一度この曲で「聴衆がいなくなった、演奏家もいなくなる、誰も音を出す人がいなくなる。」とするメッセージを一つも音が鳴らされないこの曲で示した。世界中で大きな反響があった。
しかしこの間に記憶も薄れ、この事象に正しくコメントできる人が少なくなってくる。その背後事情も定かでなくなってくる。如何に記録が、ジャーナリズムが大切かが分かる。アーカイヴとして、第一時資料が残っているだけではフェークニュースを駆逐不可能なことが分かる。
上の演奏会10月31日の数日中に次の演奏会が開かれる予定だった。フランクフルトでの合衆国お披露目ツアーへの壮行音楽会が予定されていた。プログラムは、ヴェーベルン作「パッサカリア」に続いてメンデルスゾーン作交響曲一番、ブラームス作交響曲四番がオリジナルで、コロナ配置の制約からシェーンベルク作「浄夜」に続いてブラームスの初演版に替えられて演奏される筈だった。
結局2020年2月のラフマニノフ作交響的舞曲の最後の銅鑼の音を最後にペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの生演奏を再び聴いたのは2021年11月の同じフランクフルトのアルテオパーでの「オベロン序曲、ヒンデミートのメタモルフォーゼン、シューベルトの大ハ長調」あった。その時は、それを壮行演奏会として東京を含む極東演奏会に出かける予定だったのである。
参照:
ロックダウン前最後の演奏 2020-11-01 | 音
響くやり場のない怒り 2020-11-05 | 音