Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

次はエディプスコムプレクス

2023-05-07 | 文化一般
シュトッツガルトの「アシジの聖フランシスコ」の練習は始まっただろうか。ゆっくりとであるがお勉強は暇があればやる様にしている。今度は、やはり作曲家メシアンとその母親の関係からオィディプスコムプレックスが、その演出を含めて何処迄示唆されているだろうかと気になる所だ。

勿論のこと、聖人とその父親の葛藤を描いてしまうと、収拾がつかなくなってしまったことは納得なのである。

作曲家本人はインタヴューでも二幕六景「鳥の説教」の景が最も勝れていて、指揮者にとっては複雑な不定形リズムを指示しなければいけないために、初演の小澤も当初は演奏不可能としていて、ケントナガノも数か月も作曲家の許を訪れたとしている。

そこは18時から野外でその前の五景「音楽する天使」から演奏されて、21時に再び劇場で七景「聖傷」から最後まで演奏される。

エンゲルがどこ迄指揮してくるかは確信はないが、その指揮の技術的な力量が試されることになる。音楽劇場指揮はどちらかというと総指揮のようなもので、不当に注目されないことも多いが、今回は否応にも問われる。

それも野外でとなるとなかなか大変である。ナガノはいつものようにダイナミックスに鳴らしていたとなんとなく記憶するが、エンゲルにははっきりとしたイメージを期待したい。今迄録音が出ているものではメッツマッハ―のヴィデオもあると思うがハーグの楽団で強引な指揮であるから、今回の座付きがダントツに巧いのではなかろうか。SWRで録画されるので、金字塔となる指揮をして貰いたい。

雨天になるとその景も劇場で演奏する為にどちらも経験してみたいと思っているが、これだけは予めにはなんとも分らない。

メシアンはインタヴューでは、キリストに纏わる受難の劇場作品を書きたくても恐れ多くて出来ずに聖人にまで落としたというようなことを語っていて、興味を持っている「パルジファル」についても言及している。

それによると。聖杯の場面は、明らかにヴァ―クナー自身がミサの核心であるその変容を信じていないとして、主目的が救済になっていると評している。つまりその目的の為に使われているとなる。なるほどそこまで言うと最早その様な劇場作品を創作することは不可能となる。

アールグレーを飲もうと思って、音を出しながらお湯を沸かしていたら、ケトルが鳴っていたのだが、天使のシーンでの龍笛風の音かと思って気が付かなかった。能舞台が作曲の参考にされている。



参照:
癩病者への視座の転換 2023-04-23 | 文学・思想
ダブルブッキングを確認 2023-03-21 | 文化一般
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