「アシジの聖フランシスコ」の三幕を聴いた。YouTubeの楽譜を流したので、三拍二拍の使い方がよく分かった。特に天使が登場するとなると、三拍子の意味は明らかに違う。因みに楽譜が付いているその音源のケント・ナガノ指揮は始めて聴いた。理由は明らかで生の公演初日で1998年8月16日にフェルゼンライトシューレで聴いていたからだ。今でもそうだが、いたく感動すれば同じものやそれに準じた録音や録画などはあまり聴きたくも観たくもない。上書きされるのを恐れるからで、今回迄その記憶を取っていたことになる。
そしてその印象はやはり演奏が悪い。調べると同地で録音されている。ライヴとなっているが、修正するだけの練習などの充分な材料はあったのだろう。しかしこれだけ下手な演奏だとは思っていなかった。なるほど管弦楽団が悪いことは認識していたが、指揮もいつものように交響的で音楽が充分に描けていない。反面ピーター・セラーズの演出に合わせて音楽を作っていることはよく分かる。
聖フランシスコの語りよりも天使の語りの方がエモーショナルであり、もう一度歌詞も観てみないとなぜそうなのかはよく分からない。アップショーが練習時からメロメロになっていた映像しか浮かばないが、霊感に満ちるべきは天使ではない筈だ。それでもこの歌によってこそこの天使がとても母性的な色合いで、通常以上ではないか。
勿論聖フランシスコがエクスタシーに達することからこの創作がどちらへと進むかは途中で予期できるのだが、やはりセラーズ演出の手の動きが見えるような音楽作りになっていて、とても荒っぽく、こうして改めて聴くと失望しかない。ナガノ指揮で自身のミュンヘンの劇場で公演されたものの不評も当然だったかもしれない。
もう一度小澤の指揮に戻ってみるとなるほど初演で至らない所も多いのだが、あれほど下手と思ったパリの座付き管弦楽団が意外にも音を出している。そして何よりも指揮が上手い。それ以上にその間に15年ほどの歳月が流れているからか主役のファンダムの歌が初演の時はとても立派である。演出、指揮によって歌を活かし切れていないきらいもある。更に期待値の高いシェーンベルク合唱団のフランス語の歌がとても拙い。
少なくとも朧気乍ら記憶にあった通りに、ケントナガノの指揮は音響的に全くこの楽譜から音を掴み出せていない。一体何しに作曲家の下に通ったのだろう ― その様な指揮者がヴァ―クナーを昔の奏法で音響的になんとか再現しようっていうのはおこがましいにもほどがある。まともに独墺音楽を振ってから言いなさい!
今回の公演でのアメリカ人のタイトルロール歌手は既に前番組で取り上げられているのでそれだけの個性が引き出される筈だ。その点ではエンゲルの指揮の導きによって、正しく天使の導きが為されることを期待する。
当初から予想していたように、この天使は中性であるよりはやはり女性なのだろう。一幕から楽譜にも目を通してみないとまだその真意はよく分からない。この作品は音楽劇的には単純である。だから余計にその音楽の刻々と移り行く表情をしっかり見極めないといけないと理解した。改めてザルツブルクでの感動がどの辺りにあったのかも思い起こせるだろう。
参照:
悦びのハ長調への賛歌 2023-05-28 | 雑感
創造の霊感と呼ばれるもの 2023-05-17 | 音