Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

期待される再生の時

2023-05-06 | 
承前)「影の無い女」が独墺圏においても何故難しい楽劇なのか。それは諮らずしも高級紙のノイエズルヒャー新聞が、それでも解決され得なかった楽劇としていて、まさしく最終フィナーレにおける左右の二組のペアーをうめる舞台中央にある女の子の姿である。彼女より少し大きく年長の自身の影に抱き着いて愛撫する、そして追いやる。そこに父親に語り掛ける皇后が登場する。影こそは妊娠を可能とする分身である ー 破瓜、妊娠への恐怖。分身でもある皇后の胸に顔をうずめる少女。そこに胸を開いたマドンナ像が現れて、その股間へと縋る少女。原罪を人間と共にと背負う決意へと父親との決別を宣言する皇后。マドンナ共々黄金の蜜を以って石化した皇帝を救えとする。バラック夫婦の犠牲の血の混じったそれを拒絶する皇后と、その遺物を穴に投げ込む少女。皇后が自己犠牲を覚悟することで再生される皇帝。そして人間には永遠の生命も無いが、そこには再生が期待される。

フィンガリングのゲームを呈示した彼女はやはり天才であった。私が彼女にハードコア―との境界線として示していたのはロシアの成功しているシリーズからの処女膜審査ものであった。所謂御開帳として終止符を打ちたいと希望してその時に大笑いで蹴られたものだった。しかし、そんなものよりも遙かに高度なやり方で母体回帰までを視野に入れていた。態々フィニッシュにおいて姿勢を変える事で、その意味を更に突き付けて来た。中指の下に小さく奥へと世界が広がる。

何処で身につけて来たかは知らないオーガズムへと自らの首へと手をやるのは、まさしく舞台にて仕手役の子役がフィナーレにおいてもやったそれであり、まさしくその窒息感こそはキリスト教における洗礼の意味であり、少なくない人々に残されている生誕第一声に繋がる初めての呼吸の感覚そのものなのだ。殆ど全ての人はその感覚と死への最後を同じように経験して、その間に再生があるのかどうかだけの相違でしかない。要するに本質的な感覚である。

その再生に際して、必ずやあるのが母体回帰への思いとなっている。両性両具は三幕に皇后によって同一化が歌われるが、彼女においては一部で囁かれたようなそのような身体的な特徴などとんでもなかった。当日偶然にも一日遅れで彼女にマイバウムを捧げられたのはあまりにも出来過ぎだったのかもしれない。

後に在ベルリン大使となった彼女が語ったことを思い出す。「ベッドで甘いことを言わない男なんていないわよ。」と、その当時はそりゃそうだろうなと思ったが、今こうして「初めての体験」をヴァーチャルに共有すると、確かに通常の場合よりも永続的なその効果が明らかだった。まさしく魅惑して期待と同時に嫉妬させるには十二分のゲームであっただろう。

彼女はこちらのチャットをオリエンティーリングすることでいつものように自らが映し出されているモニターを凝視する視線からは最早遠かった。彼女は私の名前を三回以上呼びかけたが、私は彼女の名前を知らない、ストーカーを避けるには当然である。「影の無い女」で名前があるのは染物屋のバラックだけである。そして、全ての鍵を握っている皇后の父親のカイコバートは姿を現さない。これはただの偶然なのだろうか。



参照:
得ることの多い交流関係 2023-05-03 |
原罪のエクスタシー 2023-04-16 | 文化一般
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