Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

報告から批評への相互関係

2023-05-16 | 文化一般
承前)「ブルートハウス」上演から一年が経過した。音楽劇場関連で昨年のヤーマイ音楽祭の記事に戻ってくると、「続く」となっている。沢山書きたいことがあったのだ。時間も空き、時間も無く、なによりも手元に楽譜も無いので、あの時のことを思い出す助けとしたい。

その後のオペラ賞などの評価で流石に初演から三度目の上演なので、演出家のクラウス・グート授賞の内容としてこの制作が語られた。しかし指揮のエンゲルの授賞はならなかった。承前内容の記事に書いた通りそのフィナーレにおけるモンテヴェルディの連結の和声の響かせ方に迄聴きこんで更にそれを正しく評価するような玄人でないと指揮者の仕事内容が分からない。

その時に気が付かなかった人はいないと思うのだが結論を出すには私も人の否定的な批評が役に立った。一種の反面教師であるが、どのような人でも注意深く虚心坦懐に五感を働かしている人は皆同じで同じように音も聴いている。だから玄人であろうが素人であろうが、人の感想というのはとても参考になる。そうした開かれた態度は専門家になればなるほど身についている。

つまりそこで有りの侭を報告するのがジャーナリズムの仕事であり、それをしてクリティカルに評価を下すのが評論である。幸い初日にそこにいることが出来て、そして個人的な関係から他人以上に関心があったので正しく批評できた。しかし皆がそこに集っていた訳ではない。その現場の感覚無しには批評とはならないのはまさしくモンテヴェルディが語った様にライヴによるインターアクティヴに依って音楽劇場が成立するという主張の通りである。

賞ではその代わりに主役を歌ったヴェラ・ロッテベッカーが年間最高の女声に選ばれた。ネトレブコ、シュテムメやハルテロス、またはペーターセンやグリゴーリアンと同格に抜擢である。この賞は少なからず下拵えや指揮をしたエンゲルにも向けられていると思う。「スペードの女王」指揮のペトレンコに譲ったのは仕方がないが、本シーズンは「影の無い女」指揮との勝負で更に敷居が上がる。

しかし、その二つの復活祭における上演を考えればやはり前者のチャイコフスキーの同性愛へとフォーカスが当たった作品と作曲家ハースのサディズムの性向を父親に子供の時から性的な支配を受けていた娘の話を通してそこに音楽的な創造として見え隠れするものを描く制作とはその複雑さとあまりにもの日常性が違い過ぎる。

我々が音楽芸術を扱う場合に、例えば音楽劇場作品ならば必ずしもその台本や脚本が意味するところにその本質がないとすれば、その様な原稿、文学的に分かり切った創作などを態々再創造する必要などは生じない。

劇場効果とは、既に述べたように客席と舞台間でのインターアクティヴな関係からどのようなライヴ効果が生ずるかという事であって、そうした音楽劇場を例えば大画面の映画館の暗闇から白昼の街に出てきた時にその架空の世界にまだ浮かんでいるような状態を視覚効果だけではなくて聴覚効果によっても持ち続けるほどの影響として思い描いてもよいのではなかろうか。その演出効果についてはまだ触れていなかった。(続く)



参照:
オペラ賞ノミネート推薦 2022-08-04 | 文化一般
台詞が音楽を導く 2023-05-15 | 音
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