先日ベルリンから中継放送された旧RIAS交響楽団の演奏を聴いた。首席指揮者に代わって急遽振ったのがシュトッツガルトの音楽監督マイスターだった。ブルックナーの交響曲五番ということで興味があった。昨年はバイロイトでこれまた急遽新制作「指環」初日を振ったが、同じ傾向が予想された。実際に透明性の高いブルックナーで、インタヴューで話すようにオルガンの音を模したとすればロマンティックなそれは混合音色だと話していて、相反する要素に言及していた。その成果は出ていたと思うが、ブルックナー愛好家には物足りなかったと思う。音色以前にやはり音が軽い。これは指揮者の体格をある程度表すものでその通りの音であった。
個人的には、ヴァ―クナーにしろブルックナーにしろそれらを「ローエングリン」を除いてレパートリーにすらしていないティテュス・エンゲル指揮を待ち侘びるのはそこである。勿論ペトレンコ指揮のブルックナーもシューベルトの「グレート」を聴いてからどのようになるかはある程度想像がついていて、何番の交響曲に食指が向くかは分からないが、可能ならばフォーアルベルクでショスタコーヴィッチよりもブルックナーの全曲演奏をしたかったようである。オーストリアの指揮者としての義務感もあるのだろう。
しかし、マイスター指揮とは管弦楽団が異なってもやはり同じ身体的な条件から本当の音は出難いと思っている。最初のルツェルンでの登場ではカラヤンの総奏と比較されて、足りない部分とされた。それ以前にミュンヘンの座付き管弦楽団との日本デビュー公演では評論家の山田氏に音の小さいところで勝負する指揮者かもしれないとされた。その時は否定もしたが、その裏には同じような事情もあるとみている。
カラヤンも小柄な指揮者であるが彼にはカラヤンサウンドがあってとてもふくよかによく鳴って、合衆国のオーマンディーサウンドとはまた異なる凄味もあった。しかし、当時の指揮者の中で最も厳しくとも、ショルティ指揮シカゴ交響楽団の突き刺さるような音とは異なり、重くゴツンとくる音を出していたのはムラヴィンスキー指揮レニングラード交響楽団だった。
エンゲル指揮で一番来るのは、ここという時の一撃の強さで、あの音を出す指揮者を知らない。彼自身はスイス人としては長身かもしれないが、独語圏としては標準身長である。180cm少ししかない。しかし、指揮者の中ではやはり大きい。嘗てのフルトヴェングラーも長身であり、実際に凄い音が出ていたとされる。エンゲルとクナッパーツブッシュを比べるのはそう言った点でもある。最も大きかったのはクレムペラーで二メートル近かった。
長身で手足が長ければ拍子の取り方も変わる。何も大きいことを良しとはしないが。エンゲルの最近の一振りの衝撃度を体験するようになって、確信に至っている。
参照:
イザ九月はベルリンへ 2023-05-08 | 生活
「シーズン最高の初日」の意 2022-05-24 | 文化一般
個人的には、ヴァ―クナーにしろブルックナーにしろそれらを「ローエングリン」を除いてレパートリーにすらしていないティテュス・エンゲル指揮を待ち侘びるのはそこである。勿論ペトレンコ指揮のブルックナーもシューベルトの「グレート」を聴いてからどのようになるかはある程度想像がついていて、何番の交響曲に食指が向くかは分からないが、可能ならばフォーアルベルクでショスタコーヴィッチよりもブルックナーの全曲演奏をしたかったようである。オーストリアの指揮者としての義務感もあるのだろう。
しかし、マイスター指揮とは管弦楽団が異なってもやはり同じ身体的な条件から本当の音は出難いと思っている。最初のルツェルンでの登場ではカラヤンの総奏と比較されて、足りない部分とされた。それ以前にミュンヘンの座付き管弦楽団との日本デビュー公演では評論家の山田氏に音の小さいところで勝負する指揮者かもしれないとされた。その時は否定もしたが、その裏には同じような事情もあるとみている。
カラヤンも小柄な指揮者であるが彼にはカラヤンサウンドがあってとてもふくよかによく鳴って、合衆国のオーマンディーサウンドとはまた異なる凄味もあった。しかし、当時の指揮者の中で最も厳しくとも、ショルティ指揮シカゴ交響楽団の突き刺さるような音とは異なり、重くゴツンとくる音を出していたのはムラヴィンスキー指揮レニングラード交響楽団だった。
エンゲル指揮で一番来るのは、ここという時の一撃の強さで、あの音を出す指揮者を知らない。彼自身はスイス人としては長身かもしれないが、独語圏としては標準身長である。180cm少ししかない。しかし、指揮者の中ではやはり大きい。嘗てのフルトヴェングラーも長身であり、実際に凄い音が出ていたとされる。エンゲルとクナッパーツブッシュを比べるのはそう言った点でもある。最も大きかったのはクレムペラーで二メートル近かった。
長身で手足が長ければ拍子の取り方も変わる。何も大きいことを良しとはしないが。エンゲルの最近の一振りの衝撃度を体験するようになって、確信に至っている。
参照:
イザ九月はベルリンへ 2023-05-08 | 生活
「シーズン最高の初日」の意 2022-05-24 | 文化一般