(承前)つまりそれは演奏実践は舞台上でしか試せないということか。
その通り。指揮者は自分で音響を作れないので、文字通り空に描くようなものなのです。ピアノ弾きとして五つの異なる可能性を試して、どれが正しいかが分かります。しかし指揮者としては違う方法で自分がやる変化をそこで評価することは叶いません。其処では管弦楽団の前に立っている。すると自分のアイデアが時々とても拙いことに気が付いて慌てて仕舞います。それゆえにその演奏実践への疑問がいつも湧き上がるということになります。
そこで具合が悪いとなるとどうするのでしょう。次の日には違いことを試みる?
テムポが間違っていたりすると、練習で集めた経験から全く異なる急進的なやり方をやることも試みます。それはいつも自分自身との戦いであり、全然異なったことをやろうと思えば自分自身を否定することになります。そうした自己批判は止むことはありません。それは残念乍らとても難しいことです。
二月には楽園の喪失、自然の喪失というモットーでビエンナーレでの演奏会があります。音楽文化で以って、今日の問題に目を向けさせる可能性があると考えますか?
百パーセント可能と考えます。ギリシャの古代からそれは文化の機能であり続けているからです。あらゆる音楽作品はその環境との関係でメッセージを運んでいます。取り分け素晴らしい演奏がより効果があるのかどうかは分かりませんが、創作に関してはいくれでも例が挙げられます。
どれを考えてますか?
ショスタコーヴィッチの「レニングラード交響曲」を考えてみましょう。第二次世界大戦中の包囲されたその都市でどれだけ人々に勇気を与えたことでしょう。今日今現在の環境で挙げたい作品はいくつもあります。
ビエンナーレでは「田園交響曲」を自分自身で指揮をされますが、それは19世紀初めの真ん中での自然を主題とした作品。プログラムの無い作品とやはり違いますか?
作曲家がプログラムを書いているとすれば当然演奏実践に影響があります。「田園」においては、ベートーヴェンの「絵画よりもさらに強い感受の表現であるべき交響曲」という言葉がとても重要です。これは以前のヴィヴァルディ「四季」における自然を効果的な模倣表現との差異としてとても明白です。なるほど「田園」にも「鳥の鳴く小川」の情景があります。然しベート―ヴェンにおいては、鳥が鳴いているのを聞いている感受が、または嵐がやってくるその恐れがまず最初にあります。それは、ロマンティックによってその心情を音楽で表現しようとするそれの先取りであります。(続く)
参照:
昼光色蛍光灯ではない期待 2023-02-18 | 雑感
レニングラード交響曲 2020-11-15 | 音
その通り。指揮者は自分で音響を作れないので、文字通り空に描くようなものなのです。ピアノ弾きとして五つの異なる可能性を試して、どれが正しいかが分かります。しかし指揮者としては違う方法で自分がやる変化をそこで評価することは叶いません。其処では管弦楽団の前に立っている。すると自分のアイデアが時々とても拙いことに気が付いて慌てて仕舞います。それゆえにその演奏実践への疑問がいつも湧き上がるということになります。
そこで具合が悪いとなるとどうするのでしょう。次の日には違いことを試みる?
テムポが間違っていたりすると、練習で集めた経験から全く異なる急進的なやり方をやることも試みます。それはいつも自分自身との戦いであり、全然異なったことをやろうと思えば自分自身を否定することになります。そうした自己批判は止むことはありません。それは残念乍らとても難しいことです。
二月には楽園の喪失、自然の喪失というモットーでビエンナーレでの演奏会があります。音楽文化で以って、今日の問題に目を向けさせる可能性があると考えますか?
百パーセント可能と考えます。ギリシャの古代からそれは文化の機能であり続けているからです。あらゆる音楽作品はその環境との関係でメッセージを運んでいます。取り分け素晴らしい演奏がより効果があるのかどうかは分かりませんが、創作に関してはいくれでも例が挙げられます。
どれを考えてますか?
ショスタコーヴィッチの「レニングラード交響曲」を考えてみましょう。第二次世界大戦中の包囲されたその都市でどれだけ人々に勇気を与えたことでしょう。今日今現在の環境で挙げたい作品はいくつもあります。
ビエンナーレでは「田園交響曲」を自分自身で指揮をされますが、それは19世紀初めの真ん中での自然を主題とした作品。プログラムの無い作品とやはり違いますか?
作曲家がプログラムを書いているとすれば当然演奏実践に影響があります。「田園」においては、ベートーヴェンの「絵画よりもさらに強い感受の表現であるべき交響曲」という言葉がとても重要です。これは以前のヴィヴァルディ「四季」における自然を効果的な模倣表現との差異としてとても明白です。なるほど「田園」にも「鳥の鳴く小川」の情景があります。然しベート―ヴェンにおいては、鳥が鳴いているのを聞いている感受が、または嵐がやってくるその恐れがまず最初にあります。それは、ロマンティックによってその心情を音楽で表現しようとするそれの先取りであります。(続く)
参照:
昼光色蛍光灯ではない期待 2023-02-18 | 雑感
レニングラード交響曲 2020-11-15 | 音
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