Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

平均化とエリートの逆襲

2005-11-06 | マスメディア批評
新聞の文化欄も大変勉強になる。ハイデッカーヘルダーリンの詩への評価:「ここの隠されているものを目の辺りにするには未だ充分に一世紀ぐらいの時が必要か」の一節に出会った。なるほど、FAZ編集者ディートマー・ダートの記事は、大連立危しから再びジャマイカ連立考察へと振れたジャーナリズムのここ数日の気分を良く示している。

多くの賢明な読者は、直感的に環境政党緑の党と保守政党CDU&CSUの相性の良さに気が付いているが、その思想的背景を見るのと遥かに面白い。ここではハイデッカーの目を通して審査されている。

ハイデッカーの知識より思索の推奨は、「知識の一種である技術」を統治と読み替えるとき、その「エリート」が絶えずその先端の背後に蠢かなければ生きていけない事に強い光を当てている。彼が早くから入党していたナチスのアンチ・モダニズムは、余りにも素朴すぎて、エンゲルスやマルクスの生産についての考察への解答ともなっていない。

しかし、ハイデッカーの無反省が批判される戦後のブレーメンでの講演で「耕作は、今や機械化された食糧自給工業であり、本質的にガス室の死体工場と同じで、食料不足の諸国の放置と同じで、水爆開発工業も同じである。」と語っているのは、現在から見ると当を得ている。グローバリズムの問題そのものであるのだ。つまり、これを今日の政治問題として解くと、保守的な管理体制と環境行政からの視点と重なり合う。

バイエルン首相シュトイバーは、ベルリンへの転勤を否定してから、予定されていたベネディクト16世との個人的謁見にヴァチカン訪問を履行した。ヴァチカンでは、先のティーレマンの率いるミュンヒナーフィルハーモニカーの御前演奏会に続いての故郷からの重要な御一行である。16世は、過去10年間のバイエルンの近代テクノロジー進展への貢献とその経済的繁栄、その多様な文化・宗教のあり方を褒め称えた。またシュトイバー博士の政治判断の説明に対して、全体の政治情勢に対する認識の高さを示したという。

二週間前のベルリンでのシュトイバー博士へのCDUの内輪での批判は、今回の選挙責任への内容に及んでいた事から、どうもこの話題が来週あたりに再びミュンヘンから聞こえてくるのではないかという感じもする。法王との謁見がバイエルン首相をどれほど政治的に強化するかは見ものである。十字架を後光のように輝かして、登場するのであろうか。

売上税の18%への引き上げが、SPDとCDUの両党で合意しそうであるということも、バイエルンへの引きこもりの原因となっていた事は確かで、都合の悪い時はそそくさと故郷に帰る。税収入を確保してからの支出削減へのプロセスは、受け入れがたいもので、特にSPDのマニフェスト違反は今後とも世論に大きな影響を与えるだろう。

SPD新党首に選ばれようとしているプラチェック氏は、東独の最終期に保健衛生の専門家として市民団体を作り政治活動を始めたようで、当初合弁を拒否していた緑の党を経てSPDへと衣替えしている。オーダー河の氾濫の危機管理で一躍名を挙げて首相を狙う地位となった。政治家を職業と考えない政治家だがその姿勢とは裏腹に、危機管理で一躍名を売ったように権力と売名には一際貪欲であるようだ。

社会主義者プラチェック氏は、SPDの政策の継承と各役所との密接な協力関係を標榜している事から、このまま推移すると可なり両陣営の悪いところを合わせた様な連立になりそうである。バイエルン首相が法王と共にバイエルンでも権威失速の道を歩むのかどうかにも依るが、政権内に二人の与党党首の横槍が入るとなると新首相認証前から内閣は殆んど失速しているような様子である。

何よりも心配なのは、ハイデッカーの言葉「危機は突如として起こる」という具合に、信仰としてのまたはモラルとしての近代工業化を無資産者が諦めない限り、「エリートの所有」の没収や大量生産の推進は避ける事が出来ない。つまり、再びエリートの最終逆襲が起こり得ると言うのである。マルクスの言う特権階級や大量生産の放棄は、ボブ・デュランの様にハイデッカーにとっては、ニヒリズムを招く文化的な平均化にしか他ならない。これを民族や人種の差異に位置づける事で解決しようとしたのがナチョナルゾチアリズムス(ナチズム)であったことは言うまでも無かろう。

写真:帝国議会の議長公邸としてパウル・ヴァロットによって建てられた現在の議員会館。連立の前交渉はここを舞台に繰り広げられた。



参照:
終焉の引導を渡す使命 [ 歴史・時事 ] / 2005-11-09
収穫終えて、それから? [ ワイン ] / 2005-11-01
麻薬の陶酔と暴徒の扇動 [ 生活・暦 ] / 2005-11-02
権力抗争と自浄作用 [ 文学・思想 ] / 2005-11-03
情報管制下の娯楽番組 [ 歴史・時事 ] / 2005-11-05

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