「ニーベルンゲンの歌」もしくは「ニーベルンゲンの神話」は、北方ゲルマン神話として良く知られている。その起源は、ヴォルムス・マインツ・アルツァイを中心とするラインプファルツに移ったブルグンダー人に起源を発すると言う。ローマ皇帝プローブス治世にレッヒ川周辺からネッカー流域へと追い遣られたこの一ゲルマン人部族が、その130年後程後の五世紀始めにライン川を渡り、その地に住みついたのであった。
その名前から判るように、アレマン人とローマ人の争いの間で、物語のようにフン族のアッティラではなくてアエティラ率いる西ローマ軍に敗れ、傭兵化してローマ化して移動して行く。そのようにして現在のローヌ川を中心とするスイスから南東フランスの多くの地域に広がる民族文化圏となっている。
そうした背景もしくは、メロヴィンガー朝の東フランク族ブルニヒルド女王と王妃フレデグンデの骨肉の争いがこの神話の材料になっていると言われる。文字化されたのは13世紀で中部高地ドイツ語で書かれている。つまり、その時点までに神話化の過程を終えていて、こうして少なくともそれ以前の語継ぎをも今日知ることが出来るのである。
その地理的歴史的複雑さは、ゲルマン人の大移動の様そのままで、なかなか把握出来ないが、それらの痕跡をラインネッカー地方の古い町にも見る事が出来る。もちろん、それは物語に因んで言い伝えられる剣とか巨岩とか竜の洞窟を指すのではなくて その歴史の痕跡を言うのである。
例えばネッカー河畔のラーデンブルクには色濃く、ローマ人の遺跡である波止場や城郭や井戸が残されて、その上に野蛮なゲルマン人の強奪やメロヴィンガー朝支配の痕跡がそこかしこに見られる事を言う。それには、現在のニーベルンゲン街道と名付けられたヴォルムスを起点とする観光街道があり、そこかしこにそれに因んだものが見られると言う物へと伝承は変遷して行くのである。ユネスコ指定のロルッシュの博物館にもそれらしいものが展示されている。これらロマン的な文化現象と神話が更なる「伝承」として、混在して巧妙に重ねられているのである。
つまり、文献からその13世紀頃の民族歴史への回想とナショナリズムが勃興する19世紀のロマン主義に、またそれから更に200年ほどの歴史への回想を積み重ねる懐古が存在して、現在壁画などが描かれているのを見ることが出来るのである。
哲学者ミシェル・フーコーが、この神話の作者をつきとめようとしたが徒労に終り、結局口述で伝承されたものの意味に言及しているらしい。現代の我々にとって興味あるのは、こうした神話がリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇で近代にまで意味を持ち得たのみならず、世界中に知られるのは、19世紀におけるグリム童話などと同じで、神話の世界へ回想と記憶が何時しか人類共通の記憶になる過程であろう。今や北京にでまでこうした音楽劇が上演されて、言語を越えた音響体験として、神話が記憶となって浸透していっている。
こうしたものの伝承は、ナチの神話の利用を見ても判るように、フーコの指す「血生臭い歴史的経験」として定着すると、過去から現在への継承において、同じく現在から未来へと橋渡しされる豊富な経験の記憶ともなるのである。
写真は、19世紀にロルッシュ旧市会議事堂の壁に描かれた「ジークフリートの葬送」の光景。
参照:
記憶にも存在しない未知 [ 文化一般 ] / 2007-05-27
矮小化された神話の英霊 [ 文学・思想 ] / 2006-08-21
豊かな闇に羽ばたく想像 [ 文化一般 ] / 2006-08-20
名文引用選集の引用評 [ 文学・思想 ] / 2006-04-02
客観的洗練は認識から [ 雑感 ] / 2006-03-05
御奉仕が座右の銘の女 [ 女 ] / 2005-07-26
落ちまくリーノ (たるブログ)
その名前から判るように、アレマン人とローマ人の争いの間で、物語のようにフン族のアッティラではなくてアエティラ率いる西ローマ軍に敗れ、傭兵化してローマ化して移動して行く。そのようにして現在のローヌ川を中心とするスイスから南東フランスの多くの地域に広がる民族文化圏となっている。
そうした背景もしくは、メロヴィンガー朝の東フランク族ブルニヒルド女王と王妃フレデグンデの骨肉の争いがこの神話の材料になっていると言われる。文字化されたのは13世紀で中部高地ドイツ語で書かれている。つまり、その時点までに神話化の過程を終えていて、こうして少なくともそれ以前の語継ぎをも今日知ることが出来るのである。
その地理的歴史的複雑さは、ゲルマン人の大移動の様そのままで、なかなか把握出来ないが、それらの痕跡をラインネッカー地方の古い町にも見る事が出来る。もちろん、それは物語に因んで言い伝えられる剣とか巨岩とか竜の洞窟を指すのではなくて その歴史の痕跡を言うのである。
例えばネッカー河畔のラーデンブルクには色濃く、ローマ人の遺跡である波止場や城郭や井戸が残されて、その上に野蛮なゲルマン人の強奪やメロヴィンガー朝支配の痕跡がそこかしこに見られる事を言う。それには、現在のニーベルンゲン街道と名付けられたヴォルムスを起点とする観光街道があり、そこかしこにそれに因んだものが見られると言う物へと伝承は変遷して行くのである。ユネスコ指定のロルッシュの博物館にもそれらしいものが展示されている。これらロマン的な文化現象と神話が更なる「伝承」として、混在して巧妙に重ねられているのである。
つまり、文献からその13世紀頃の民族歴史への回想とナショナリズムが勃興する19世紀のロマン主義に、またそれから更に200年ほどの歴史への回想を積み重ねる懐古が存在して、現在壁画などが描かれているのを見ることが出来るのである。
哲学者ミシェル・フーコーが、この神話の作者をつきとめようとしたが徒労に終り、結局口述で伝承されたものの意味に言及しているらしい。現代の我々にとって興味あるのは、こうした神話がリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇で近代にまで意味を持ち得たのみならず、世界中に知られるのは、19世紀におけるグリム童話などと同じで、神話の世界へ回想と記憶が何時しか人類共通の記憶になる過程であろう。今や北京にでまでこうした音楽劇が上演されて、言語を越えた音響体験として、神話が記憶となって浸透していっている。
こうしたものの伝承は、ナチの神話の利用を見ても判るように、フーコの指す「血生臭い歴史的経験」として定着すると、過去から現在への継承において、同じく現在から未来へと橋渡しされる豊富な経験の記憶ともなるのである。
写真は、19世紀にロルッシュ旧市会議事堂の壁に描かれた「ジークフリートの葬送」の光景。
参照:
記憶にも存在しない未知 [ 文化一般 ] / 2007-05-27
矮小化された神話の英霊 [ 文学・思想 ] / 2006-08-21
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