約二年前に上映された最新のマルティン・ルターの映画を観た。10月31日は宗教改革の日として、所縁のある地を中心に東独の新教の州は休日であった。其れに因んで独第一放送で流された。11月1日は万聖節でヘッセン以外は祝日である。
二三年前の公開時の評判は聞いていたので、期待していなかった。アウグスブルク信仰告白のカール五世による若しくはザクセン王ゲオルク二世の勅旨までが扱われる。それでも有名なエピソードも省かれて、神学的な考察どころか、歴史的背景さえ充分に描けていない。
ルターは、ここで毛沢東やロペスピエールのような革命の先導者であって、学があって博士号を持ちながらも政治的に振舞う。制作意図として、宗教性よりもカトリック教会の権力腐敗構造や君主封建主義と新教による暴力革命を強調していたようである。信者の聖体の拒絶や免罪符の購入など暗示的な描かれ方もしているのだが、その黒澤の亜流のような映像や安易な古楽舞踊のBGMは今ひとつ洗練されていない。端折った感のあるTV歴史ドラマの域を出ていない。
当時の学芸世界や社会の背景を鑑みると、20世紀の共産主義者の主張のように「宗教は麻薬」であり、麻薬の常習者である宗教家に民衆は如何に扇動され易いかを示す事が、この映画の主題であったろう。勿論、ここには21世紀の現在にも通じる多くの示唆が含まれている。
麻薬といえばヴァーグナーの楽劇もそうだ。北京では「指輪」の上演が、ニュルンベルクからの250人の引越し公演で、成功裡に執り行われた。歌手もツェリル・スチュダーなど実力者揃いで、管弦楽も良かったようだ。そして演出こそが秀逸で、ドイツ国内ではバイロイトを含めたここ十年間で最も評判の良かったという、ステファン・ロウレスによるシェロー以降の現代スタンダードな様式だったようである。
ドイツでベルグハウスとギーレンの「指輪」を体験済みという中国女性は、「北京オパーを期待していた観衆が最後まで固唾を飲んで観劇して、喝采した事はセンセーショナル」と語ったという。縫いぐるみや牛の角の意匠に会場が沸いたというが、実際は招待席の三分の一が空席で、外で切符を求めるのは30歳以下の若者という。音楽学生などが主力の聴衆層は将来の観客であり、学びの時期を示しているのだろう。
ルターの映画を観た在フランクフルトの中国人が、「あのような民衆の暴挙は文革と代わらないし、過激な対日デモンストレーションは反対だ」と語るのを聞くと、何もネットの情報量だけでなく芝居や映画などの文化の影響は大きいと再認識する。そのような文化の享受の方法は、娯楽を越えるという認識が必要である。高級車のSクラスメルセデスの世界で最も輸入量の多い中国であるが、ワインの味が分かるように文化の粋を味わって貰わなければいけない。
ベルリナーフィルハーモニカー中国公演の殆んど天文学的な入場料が11月に発表されるという。経済成長を謳歌する反面、「芸術は麻薬」であると叫ばれるのだろうか?何れにせよ、2005年に行われた最も「生きたオペラ」は北京で上演された事には違いない。
写真:ドイツ連邦議会の天井の自動循環換気システムと見学者達
参照:
平均化とエリートの逆襲 [ 文学・思想 ] / 2005-11-06
権力抗争と自浄作用 [ 文学・思想 ] / 2005-11-03
情報管制下の娯楽番組 [ 歴史・時事 ] / 2005-11-05
二三年前の公開時の評判は聞いていたので、期待していなかった。アウグスブルク信仰告白のカール五世による若しくはザクセン王ゲオルク二世の勅旨までが扱われる。それでも有名なエピソードも省かれて、神学的な考察どころか、歴史的背景さえ充分に描けていない。
ルターは、ここで毛沢東やロペスピエールのような革命の先導者であって、学があって博士号を持ちながらも政治的に振舞う。制作意図として、宗教性よりもカトリック教会の権力腐敗構造や君主封建主義と新教による暴力革命を強調していたようである。信者の聖体の拒絶や免罪符の購入など暗示的な描かれ方もしているのだが、その黒澤の亜流のような映像や安易な古楽舞踊のBGMは今ひとつ洗練されていない。端折った感のあるTV歴史ドラマの域を出ていない。
当時の学芸世界や社会の背景を鑑みると、20世紀の共産主義者の主張のように「宗教は麻薬」であり、麻薬の常習者である宗教家に民衆は如何に扇動され易いかを示す事が、この映画の主題であったろう。勿論、ここには21世紀の現在にも通じる多くの示唆が含まれている。
麻薬といえばヴァーグナーの楽劇もそうだ。北京では「指輪」の上演が、ニュルンベルクからの250人の引越し公演で、成功裡に執り行われた。歌手もツェリル・スチュダーなど実力者揃いで、管弦楽も良かったようだ。そして演出こそが秀逸で、ドイツ国内ではバイロイトを含めたここ十年間で最も評判の良かったという、ステファン・ロウレスによるシェロー以降の現代スタンダードな様式だったようである。
ドイツでベルグハウスとギーレンの「指輪」を体験済みという中国女性は、「北京オパーを期待していた観衆が最後まで固唾を飲んで観劇して、喝采した事はセンセーショナル」と語ったという。縫いぐるみや牛の角の意匠に会場が沸いたというが、実際は招待席の三分の一が空席で、外で切符を求めるのは30歳以下の若者という。音楽学生などが主力の聴衆層は将来の観客であり、学びの時期を示しているのだろう。
ルターの映画を観た在フランクフルトの中国人が、「あのような民衆の暴挙は文革と代わらないし、過激な対日デモンストレーションは反対だ」と語るのを聞くと、何もネットの情報量だけでなく芝居や映画などの文化の影響は大きいと再認識する。そのような文化の享受の方法は、娯楽を越えるという認識が必要である。高級車のSクラスメルセデスの世界で最も輸入量の多い中国であるが、ワインの味が分かるように文化の粋を味わって貰わなければいけない。
ベルリナーフィルハーモニカー中国公演の殆んど天文学的な入場料が11月に発表されるという。経済成長を謳歌する反面、「芸術は麻薬」であると叫ばれるのだろうか?何れにせよ、2005年に行われた最も「生きたオペラ」は北京で上演された事には違いない。
写真:ドイツ連邦議会の天井の自動循環換気システムと見学者達
参照:
平均化とエリートの逆襲 [ 文学・思想 ] / 2005-11-06
権力抗争と自浄作用 [ 文学・思想 ] / 2005-11-03
情報管制下の娯楽番組 [ 歴史・時事 ] / 2005-11-05
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